黒猫の本棚の昔話。大学受験や大学生活詳細版。
他の方のエンジニアになるまでを読んでいて、私のnoteはあっさりしすぎていたかもと思ってきたので、別記事で書き足して行くことにしました。
今回は、大学受験関係や大学生活について。
高校での文理選択
高校受験前から理系だと決めていたので、全く悩みませんでした。親も何も言わなかったし、先生に何か言われた記憶も無いです。進学校で父親が理系の研究職だったおかげかもしれないです。男女共学だったんですけどね。
理科は物理選択で、物理科学を勉強しました。生物は苦手意識があったので物理を選びました。たしか。
化学は実験大好きな先生だったので楽しかったです。このときにレポートの基礎を知りました。実験レポートは大変でしたが、いまでも役に立つ基礎を知りました。
志望学科決め
これは工学系情報の一択でした。
高一くらいまでは、音楽(クラシックの演奏家)もやりたいと思ってました。が、技術的にも親を説き伏せる情熱も足りず、受験を考えるときには趣味とする事に納得してました。
学科選択で悩んだ記憶は全く無いです。親の持ち帰ってきたパソコンで遊んだり、N88-BASICを書いたりしていたのがあるのかもしれません。
受験校決め
一年生から専門科目が学べる学校がよかったので、その観点で探しました。また工学系は私立だと費用が跳ね上がるので、国公立か私立で返済不要の奨学金が貰えるところが条件でした。
で、成績も加味すると筑波大と某私立大の2校が見つかり、この2校を受験する事にしました。高校の先生には他にも滑り止めを受けろと言われたのですが、行く気の無い学校をうけても無駄なので2校受験に決めました。筑波大は前期後期の両方に出願です。親も同じ考えだったので、先生の話は無視です。
受験に関しては、親よりも先生と話があわなかった記憶があります。先生は、たぶん世間一般の多数派視点で話をしてきました。親は女性でも手に職が必要と考えていたので全然視点が違ってましたね。
受験
受験自体に特別なエピソードは無いです。
いや、あるか。高校が普通科では無かったのをいいことに、数ⅡBを受けずに情報関係基礎を受けて50点以上点数を上げました。この頃から、世間体より自分の考えで生きていたみたいです。高校の先生には情報関係基礎で受けたら志望校はダメじゃないのかと言われ、募集要項見せて大丈夫ですと説明した記憶もあります。
最終的には、筑波大に受かったので行き先が決まりました。
大学生活
うちはゲーム機の購入禁止だったのですが、1人暮らしをきっかけにバイト代でプレステを買いました!ドラクエもFFもやっと遊べて嬉しかったです。MMORPGも始まって、ラグナロクとかリネージュとかやりましたね。ほんと楽しかったです。
学校には最低限しか行きませんでした。お互い様で代返もしてましたね。教室にいる女性の数と出席になっている女性の数はあきらかにおかしかったです…。
たいていは出席は成績の底上げで、テストか課題ができていれば単位はとれたのでなんとかなりました。大学の成績は、専門科目の実習は良くて教養系は普通でした。
課題を含め、家から学内回線につないで色々すませていました。友達は計算機室(いくつかあった)にいたりして、深夜にチャットしてました。だらだらとお喋りしていたことが多かった気がします。計算機室だと飲食禁止なのが嫌で、私は家からつないでました。リモートで連絡とって何かすることに抵抗がないのは、ここで鍛えられたのかもしれません。
この頃、HTMLを手打ちでホームページ作ったりもしてました。そうだPostPetもやってた!チャットしている相手にPostPetのためにメールを書くという訳のわからないこともしてました。
講義関連
アルゴリズムやソフトウェア工学やその他色々やりました。特に覚えているのは以下のあたりですね。
・ハノイの塔の実装
・デットロックの実装と改善
・日本語変換の考え方と入り口の実装
・コンパイラ実装(穴埋めレベル)
こうみると色々やってますね。すっかり忘れてましたが、考え方として今でも役に立ってるみたいです。
研究室関連
研究室は、女性OK就職予定者OKの研究室にしました。
当時は中国からの女性留学生もいて、研究室では4割くらいが女性でした。って、10人もいないところですが。皮から作る餃子を教えてもらったり、キムチの付け方教えてもらったりして楽しかったです。
研究室全体では、長期休み明けは冷蔵庫に誰かのお土産の日本酒が入っていたりしました。車通学なのについ飲んでしまって帰り損ね、研究室で寝てたりしました。麻雀の人手が足りなくて教えられたのですが、研究室で一番弱かったです。最後まで点数計算と罰ゲームは免除してもらいました。
大学で女性だったからの悲しかったこと
1年生のときに、「入ってきたときは女性の方が成績が良いけど、卒業するときの上位は男性ばかりになる。うんぬんかんぬん…」という先生がいて凹みました。
で、数年後の研究室選択のとき、自分が勉強したかった分野の研究室の先生だと知ったときはショックでした。研究室は他のところに行って楽しかったのですが、未だに釈然としない気持ちはあります。
また、当時としては珍しくインターンがあったので応募したのですが落ちました。どうも女性用の寮が無かったのも落ちた理由の1つだったらしいです。頑張って準備したので悲しかったです。
ま、そんなこともありましたが、男女差無く楽しく過ごした時間も多かったです。
最後に
就職活動については別の記事で書きますね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!