子沢山貧乏中卒主婦が起業した話。古本屋経営&子育て奮闘記 #1
エピローグ
「古本屋さんってどうやって開業するのですか?」
緊張した面持ちで、勇気を振り絞って私は尋ねた。
店主のきょとんとした顔が今でも忘れられない。
1980年代はインターネットで情報を簡単に調べられる時代では無かった。
実際にお店に行って、古本屋をやっている人にどうやったら開業できるのかを聞く以外に方法が思い付かなかった。子供を連れて、古本屋さんに聞いてまわった。
―何軒か訪ね歩いた最後の古本屋
普通の主婦である私を見下した様子で店主は言った。
「そんな簡単に素人が古本屋は出来るわけがないだろう!考えが浅すぎる!」
散々に説教されて、「すみませんでした。」と謝って私は店を出た。
今なら、この時の店主の気持ちが分かる。
「商売」は誰にでも簡単に出来るものではない。
古本屋の経営は素人には無理なのか?
強い口調で説教された事には落ち込んだが、負けん気の強い私は思った。
その店主だって始めた時は素人だったはず。やってやろうじゃないか!
私なら出来る!根拠は無いが自信とやる気だけはある!
古本の知識無し、学歴も無い、子沢山で貧乏だけど、やる気だけは溢れていた主婦が借金をして古本屋を開業、経営するお話です。
テレビを見ていて閃いた。
―1986年の春
私は当時37歳、3人の子供を抱えたパート主婦だった。
その頃、長女が中学1年生、次女が小学3年生、長男が幼稚園児、のちに次男が誕生して4人の子持ちになる。
不動産と喫茶店を経営していた夫の知り合いの会社でパートとして経理事務を担当していた。
子育てとパートの忙しい日々…
そんなある日のパート先でのお昼休み、私は「徹子の部屋」を会社のテレビで見ていた。
その時のゲストは女優の東てる美さんで古本屋を始めたという内容だった。
東てる美さんは出産後に離婚、シングルマザーとなり、女優業と並行して東京で古本屋さんを経営して事業家として成功している。古本屋のチェーン店は一時期40店舗まで拡大したらしい。
その話を黒柳徹子さんと話していたのだ。
小さい頃から「子供相手のお店をしたい」と思っていたので、テレビに釘付けになった。
女優さんが古本屋を経営・・・。
そういえば、パート先の社長さんが「古本屋って儲かるらしいよ」と話していたなぁ。
その時、天から古本屋の神様が私の頭に舞い降りた・・・!
雷に打たれたように、ある考えが私の頭の中に降りてきたのだ。
テレビを見たことがきっかけで散らばっていたパーツが1つになり、頭の中でスロットの面が揃ったような感じになった。
古本屋がしたい!私にもできそう!
根拠も何もないのに、なぜかそう思った。その夜は興奮して眠れなかった。テレビを見た翌日から、寝ても覚めても頭の中は古本屋のフィーバー状態。何かに取り憑かれたように、寝ても覚めても、古本屋・古本屋・古本屋・・。頭の中は「古本屋がしたい」でいっぱいになった。
「どうしたら古本屋を開業できるのか?」
子育てとパートをしながら毎日毎日、1人で考えた。
私はたいした読書家ではなかった。たまにマンガを読むぐらい。
古本や経営に関する知識は全くのゼロ、開業するお金もない。
だけど、自分にも出来そうな気がしてならなかった。
あの時、テレビを見ていなかったらどうなっていたのかな?と時々思う。
他の商売を始めていたかもしれないし、ずっとパート主婦だったかもしれない。
どうしたら古本屋が開業できるのか?
毎日毎日、古本屋について考えてたどり着いたついた答えは…
「そうだ!!古本屋さんに行って聞けばいい!」だった。
私は早速、思いついた「古本屋開業作戦」を実行した。思い着いたら即行動。行動力と好奇心は人一倍強いのだ。早速、子供を連れて古本屋さんを訪ねる事にした。
インターネットが無かった時代、その方法しか思いつかなかった。開業や経営についての知識はほぼゼロからのスタートだった。
古本屋開業作戦スタート
私は古本屋開業への一歩を踏み出した。
しかし、いきなり古本屋に行って聞いても教えてもらえそうにない。
見知らぬ主婦が突然やって来て、「私も古本屋さんがしたい」と言ったらどう思われるだろうか?商売のノウハウやアイデアなんて、そう簡単に教えてくれるものではない。
料理をした事が無い人が焼鳥屋さんに「秘伝のタレの作り方を教えてください」と聞きに行くようなものだ。
古本屋1軒につき1つだけ質問をする作戦にした。1つぐらいなら答えてくれるかもしれない、と思ったのだ。
古本屋に行った事がなかったので不安だった。だけど、古本屋をやりたい気持ちは抑えられなかった。
―古本屋1軒目―
近所の古本屋さんに子供3人を連れて入った。その時の事を小学校1年生だった長男も覚えていた。
一人では心細かったので子供を連れて行ったのだが、子供がいた方が親切にしてもらえるかもしれないという下心もあった。
最初に訪れたのは住んでいた町にあった普通の小さな古本屋さんだった。少し緊張しながら子供とお店に入った。本棚には漫画や小説、文庫本が並んでいた。怪しまれないよう一通り、本棚を眺めてから店主に話しかけてみた。
「こんにちは。」
店の人がこちらを向いて会釈をした。イメージしていた古本屋の店主よりは話しかけやすい雰囲気の男性だった。
「あの・・すみません。お聞きにしたいのですが、古本屋さんってどうやって開業されたのですか?」とドキドキしながら質問してみた。
店主は「古本屋するんやったら、組合に入った方いいで。」と教えてくれた。
組合?!古本屋さんの組合があるのか!
「古本屋さんの組合があるのですか?!」
店主の話によると、古書組合というものがあり、古本屋さんが集まって本の売り買いをしているらしい。
まだまだ聞きたい事は山ほどあったが、”1店舗に1つの質問”という自分で決めたルールに従って、お礼を言って店を出た。
飛び込みの聞き取り調査であったが、古本屋の組合があるという1つ目の情報が手に入った!
幸先の良いスタートに心が弾んだ。
その日のうちに家の近くにあった2~3軒の古本屋を訪ねて、お店にどんな本が置いてあるか、お店の人とお客さんのやり取りなどを観察した。
初日の古本屋開業への第一歩は順調で、益々やる気になった。
めちゃ怒られた話。
―最後に訪れた古本屋さんにて
大阪の千林に古本屋がたくさんあると知って、今度は1人で京阪電車に乗り、大阪市旭区にある千林駅周辺に行って聞き込み調査をした。千林商店街は全長660mで東西に延び、その両側に200店舗以上が並ぶ大阪でも1、2を争う大きな商店街である。
その千林駅の界隈にあった1軒の古本屋を訪ねると年配の男性が一人で店番をしていた。店主に話しかけて、世間話から古本屋の経営の話になった。
それまでは、古本屋について1軒につき1つだけ質問していたのだが、「古本屋をしたい」と本音を話した。何軒か古本屋を訪ねた後だったので、少し余裕が出てきていたのだ。人に言えるような古本屋をしたい理由が無かった私は、店主の同情を引こうとしてしまった。
「親孝行をするために古本屋をやってみたい」と思ってもいなかった事をつい言ってしまったのだ。
そして、店主と会話している時の私の軽々しい返事の仕方が、それまで普通に話していた店主の逆鱗に触れてしまった。
怒り出した店主に、
「なんや!その口の聞き方は!」
「そんなんじゃ古本屋は無理や!」
「簡単に素人が古本屋は出来るわけがないだろう!」
「親孝行したいから古本屋?考えが浅すぎる!」と散々な事を言われた。
「すみませんでしたっっ」と謝って私は店を出た。
古本屋店主の厳しい言葉に、普段は能天気な私もさすがに落ち込んだ。
何の実績も経験もない人の起業に対して、「大概の人は失敗するからやめた方がいいよ」と多くの人が言うだろう。実際、お店を始めても10年以内に9割が閉店するというデータがあるのだから仕方がない。殆どの人が失敗して、成功して10年以上経営を続けられるのは一握りなのだ。
しかし、本気で起業したい人は誰に何と言われようと起業するものだ。私も誰に何と言われようと「絶対にお店をしたい」という気持ちは消えなかった。
その店主とは後になって再会する事になる。私がその時の主婦だと気付いていたのかは、未だに分からないままだ。
情報収集
大阪市内に古書組合があるらしい!早速、電話帳で古書組合の電話番号を調べて電話をかけてみた。
「近所の古本屋さんから、大阪に古書組合があるとお聞きしてお電話したのですが、開業するのにはどうしたらよいのでしょうか?」と尋ねた。
電話に出た古書組合の人が、「古本屋を開業したいなら警察の許可がいりますよ。それと、古書組合に入るのなら組合に加入している人からの紹介状と入会金30万円が必要です」と丁寧に教えてくれた。
古本屋するのに警察の許可がいるのか・・・。
早速、警察署に行ってみる事にした。
まず先に店舗を確保する必要があると言われた。古物営業法の許可は店舗がないと出せない。書類を提出後、書類に書かれた場所にある店舗を警察が調査してから許可が下りるらしい。店舗がない場合は仮契約書でもよいから店を確定しないといけなかった。
先に店舗を契約して確保しないと・・・!
でも、お店の物件ってどうやって探したらいいの?
お店を借りるお金はどうする?家賃はどのぐらい?
そもそも、専業主婦の私でもお店って借りられるの?
開業資金はどうする?
ある日、パート先で仕事をしていると社長が、
「今度、店を一緒に借りないか?」「1階を古本屋、2階をレンタルビデオ屋でどう?」と相談してきた。
以前、社長に古本屋をしたいという話をしていた事があったのだ。その話を聞いて社長もレンタルビデオ屋の経営を思い付いたらしい。1980年代、レンタルビデオ屋が増え始めていた時期であった。
レンタルビデオ屋は店舗の2階で社長が経営して、私は1階で古本屋を経営できる!渡りに船とはこの事である。「やります!」と即答したかったが、「夫に相談してみます」と返事をした。
古本屋を調査したり、空き店舗を探したりはしていたが、古本屋をやりたい事は夫にはまだ内緒にしていた。
古本屋を開業したいだなんて言ったら、絶対に反対するだろうな・・・と気が重たかった。しかし、夫が協力してくれないと開業なんて到底出来そうにない。意を決して、夫に打ち明けて相談した。
私「おとうさん、話があるんだけど。」
夫「なんや?」
私「実は、この前テレビ見ていたら、東てる美が古本屋を経営しているって話をしててな。」
夫「ほう。古本屋か。」
私「私も古本屋したいんだけど」
夫「はぁ?!古本屋をお前が?金はどうするねん?」
予想していた通り、夫は大反対!!それもそのはず、家を買って1年目だったのだ。夫の言う通り、家のローンが始まったばかりで貯金はない。
資金はどうするねん?
毎日毎日、「古本屋した~い」と夫にごねる私。それまでに調べていた資料を見せて夫を説得した。しつこく毎日毎日、私は古本屋の話を夫にした。
とうとう、夫が私の熱意に折れた。「失敗しても、わしは知らんぞ。」の一言で一件落着。
さて、次は資金の調達!
お店の経営計画書を書く必要があった。経理の経験はあったので、資金繰りや売上目標、経費などについては詳しく書くことができた。
「よっしゃー!完璧や!絶対借りれるで~」
自信満々で開業資金の300万円の借入を国民金融公庫に申し込んだ。
当時、夫が会社勤めだったこともあり審査に通った。
夫の名義で300万円を借りることができた。専業主婦だった私の名義では信用が無く、お金を借りる事が出来なかっただろう。夫がいなければ古本屋を開業する事ができなかった。
その間に警察に古物営業法の許可申請を出していた。思っていたより早くに許可が下りた。
小さい頃に駄菓子屋さんに憧れてから、ずっーと頭の隅にあった「いつか、子供相手のお店屋さんをやりたい」という夢が実現する時がきた。
願い続ければいつかチャンスが巡ってくるものだと思う。
貧乏な家に育ち、平凡な主婦だった私にもチャンスが回ってきた。私はそのチャンスをしっかりと掴んで、どんなに振り回されようとも離さずにしがみついた。
資金は300万円。たった3か月でお店をオープン
パート先の社長と共同でお店をすることになった。1階は古本屋、2階はレンタルビデオのお店だ。
無事にお金は借りる事ができたが、金額はお店を始めるにはギリギリの300万円・・。足りるのか?!
小さなお店でも開業するには通常500万円~1000万円はかかる。
店舗を借りるのに保証金や権利金、家賃数か月分などで当時は100万円~200万円、内装で100万以上、備品100万、商品代50万~100万以上・・他にも看板・外装の工事代や人件費など予定外の出費もあって、大体の場合は予算通りには収まらない。これ以上、お金を借入れるのはどう考えても難しい。銀行は実績が無いと審査が下りないだろう。
300万円で、お店できるんやろうか・・?!
資金を準備し、さぁこれから本屋さんに必要な物を買い揃えたり、色々忙しくなるなと思っていた時に社長から話があった。
「お店の保証金と内装代・看板&テント代、全部まとめて100万円でどう?」
「全部で・・・100万でいいのですか?!」
共同経営の社長の本業が不動産関係だった事もあり、色々と融通が効いたらしい。当時、店舗を借りる時の保証金は高く、保証金だけで100万円以上する所が多かった。普通は看板とテントだけでも100万は飛んでいく。全部で100万円は破格の値段だった。
ちょうどその頃、社長の知り合いの本屋さんが廃業したという知らせが入った。その本屋さんから店舗用の本棚一式を安価で譲ってもらう事ができた。レジ台も付いて全部で、なんと10万円だった。頑丈な木製の本棚で、中古でも10万円では到底、手に入らない物だった。本棚を見て、お店をする事の現実味がでてきてワクワクした。
店舗も確保できて棚も手に入り、運が良かったと思う。パート先の社長の提案がなければ、300万の資金では足りず開業できなかった。
その頃の事を思い出していると、周囲の方に助けられ、色々な偶然やタイミングが重なってお店を開業する事ができたと実感する。
店舗の家賃10万円 約10坪のフロアの1階で場所は駅から離れた住宅地だった。
社長が考えた店名は、古本とレンタルビデオの店「ランラン」。あまり良い名前ではないなと思った。自分の店をする事になったら好きな名前を付けようと心に誓った。
本の仕入れどうする?!
本棚は手に入った。次は古本を仕入れなければならない。
ど素人の私は、本の仕入方法についても何の知識も無かった。
中古で買ったガリ版で2000枚ほど本買取のチラシ広告を自作した。
ガリ版は学校で見たことはあったが、やってみると以外と難しいものだった。3人の子供たちもローラーを転がして印刷を手伝ってくれた。皆、手が真っ黒になった。夢がいっぱいで楽しかった。新聞の折込みにガリ版で刷ったチラシ入れて配ってもらった。
多少は買い取りの電話があると期待していたが、結果は散々だった。1件だけ問い合わせがあり、スクーターに乗って本の買い取りに行った。コミックと児童書、ボロボロの本でとても売り物にならない状態だった。
妻が苦戦しているのを見かねていた夫が救いの手を差し伸べてくれた・・!知り合いだった古本屋の店主に開業するのに必要な本を売って貰えるよう交渉してくれたのだ。「古本屋の知り合いおったんかい・・!」重要な場面で登場する夫であった。
その古本屋の店主と交渉した結果、50万円分の本を売って貰えることになった。売ってもらった本で何とか開店できるぐらいの量の本を準備する事ができた。周囲の人々に助けられて、開業準備は着々と進んでいった。
テントと看板の設置と内装も済み、売ってもらった本が搬入された。本棚に本を入れていった。本が本棚に並んでいく・・・感無量だった。あれだけ反対した夫も本の仕入れという大役を担い、本棚の設置など色々手伝ってくれた。
仕入れ値は売値に対して大体約3割と夫の知り合いの古本屋さんに教えてもらった。開店当初、新しいコミックは¥200、他は¥150の売値をつけた。小説類は定価の半額ぐらいの値付けをした。発行日により売値を決めた。
本の仕入れについては数時間、習っただけだった。そんな状態でよく開業したな、と今思うとゾッとする。無知にも程がある。無謀な船出だった。
怖さ知らずの36才の私だったが、何故か失敗する事はこれっぽっちも考えていなかった。
いよいよオープンの日がきた
誰もが知っている大手の古本屋の直営1号店が神奈川県に開店したのが1990年、その4年ほど前の1986年に古本屋をオープンした。
記念すべき1店舗目のレンタルビデオと古本屋の店「ランラン」は大阪府の郊外、寝屋川市にある京阪線萱島駅から少し離れた場所にあった。住宅地にある3~4店舗の小さな商店が並んでいる通りの一角にある2階建ての店舗だった。
オープンの初日、私の母と友達が手伝いに来てくれた。店先には親戚や知り合いが送ってくれたお祝いの開店花が並んでいた。
本棚には仕入れた本が並んでいる。あとはお客さんが来るのを待つだけだ。ワクワクして開店時間になるのを待っていた。
開店時間になる前から近所の人たちが集まってきた。「お客さんがきた!」と思ったその時、その中の一人が遠慮がちに開店花の一輪をそっと抜いた。それを見ていた他の人達も次々と花を抜き始めた。開店する頃には花が1輪も無くなってしまった。
「本を買いに来たのではなく、花を取りに来たんかい・・!」
大阪には開店花を持ち帰る風習がある。他の地域で開店花を持ち帰ったりしたら白い目で見られるそうだ。その風習を知らず初めての出来事に唖然とした。
―いよいよ、開店時間になった。
お店の扉を開けた途端、お客さんが数人入ってきた。20畳ほどの狭い店舗はお客さんでいっぱいになった。次々に本が売れていく。慣れないレジや接客で、時間が飛ぶように過ぎていく。初日の売り上げは約4万円だった。
オープンしてから2日目以降もぼちぼちの売上だった。
初月の売上は約40万円だった。家賃が10万円、仕入れが10数万円、借入金、その他の経費を引いても主婦がパートで稼ぐぐらいの収入にはなった。黒字で家賃も支払うことができた。
古書交換会デビュー
古本屋さんへの聞き込みをした時に知った「大阪古書組合」。
開店時に本の仕入れでお世話になった古本屋の先輩から大阪古書組合への紹介状を貰って組合員になる事ができた。加盟金は30万円。少々お高い気もするが、加入するメリットは大いにあった。
古書組合に加入する最大の利点は、古書店同士で本の売買をする古書交換会に参加できることである。古書交換会は、自分の店では売れないジャンルの本を売ったり、他のお店では不要な本を買ったりする所である。古書交換会は全国の古書組合で開催されている。
―はじめての古書交換会
お店を始めて1か月目は、開店準備した時に仕入れた本で何とかなったが、2か月目からはお客様から買った本だけでは足りなくなってきていたので、古書組合を紹介してくれた古本屋の先輩に古書交換会へ連れて行ってもらった。
はじめて参加した古びた公民館を間借りして行われていた古書交換会。大阪市中央区にある古書組合の本部ではなく、支部で行われているので「支部市」「北東北書会」と呼ばれていた。
先輩に連れられて、緊張して公民館の中に入った。古本屋の店主たちが雑談したり、忙しなく準備をしたりしていた。
プロの古本屋さん達と運び込まれた大量の古本の束・・・独特な雰囲気が漂っていた。それまで専業主婦だった私には場違いな感じがした。
競り市が始まるまで積まれた本を眺めていると、会った事がある人が目に入ってドキッとした。古本屋で情報収集していた時に、「素人に古本屋は無理!」と私に説教した人だった。あとで知ったのだが、その方は古書組合の役員で偉い人だったのだ。「あの時の主婦で~す!」なんて言おうものなら、また怒られそうだったので黙っていた。
古本屋の店主達が持ち寄った本を運び終わったら、いよいよ競り市が始まる。大量の本の束が積み上げられてスタンバイしている。
長方形の机が人々の中心にあり、「振り手」と呼ばれる人が真ん中に座っている。まず売りに出される本の束が机の上に置かれる。振り手がその本の値段を最初に言うと、店主たちが各々、自分の買いたい値段を声に出す。最終的に一番高い値を言った人が本を買う権利を得る。
本を買いにきた「買い手」は机を取り囲んでいる。ベテランから前の方に座り、新人は後ろの方に立って参加する。今はどうなっているのか分からないが、当時は年功序列の世界だった。30名ほどの古書組合の店主達が机を取り囲んだ。
どんな展開になるのか?古本市に初参加で右も左も分からない新人の私は、ソワソワしながら競りが始まるのを待っていた。
「振り手」役の人が新人の私を「今日から参加するランランさんです」と皆に紹介してくれた。独特の雰囲気の中、私は「よろしくお願いいたします。」と挨拶をした。
いよいよ競りがはじまった・・・!
中央のテーブルにドン!と束になった本が乗せられてすぐに、振り手が最初の一声を出す。本1束30冊で出すというルールだ。1束で誰の声もかからない場合は、追加で1束ずつ増えていく。
振り手が「2000!」と値段を言う。
この本は2000円からのスタートですよ、の合図だ。
その本が欲しい買い手は、自分が買いたい値段を声に出す。
A書店「2500!」
B書店「3000!」
C書店「5000!」
「・・・・」
振り手が「はい、C書店さん」と言って一番高い値段を言った人の方へ本を渡す。
値段を言った後にそれよりも高い値段を言う人が他にいなければ本を買うことができる。価値のある本は、どんどん値段が上がっていく。テレビで見かける魚市場の競りなどと同じシステムである。
大して価値の無い本でも、意地の張り合いになってしまい値段が上がっていく様子もよく見かけられた。競りに負けた方は「なんぼで売るねん!」と捨て台詞。古本屋のアツい戦いの場なのである。
新人の私は、本の値段が上がっていく様子をただ見ていた。
次々と本が机の上に置かれ売れていくが、一言も声が出なかった。本が机の上に置かれて数秒以内に値段を判断しなければならず、本の値段がよく分からない初心者の私には難易度が高すぎた。
本当は本を買いたかったけど、「今日は初日だし、見学だけでもいいかな・・」と弱気になっていた。
その様子を見ていた古本屋の大先輩であるT書房の女性店主の方が、「欲しい本があったら、声ぇ出しや~。」と私に声を掛けてくれた。
そうだ!本を買いに来たのだから、声を出して本を買わないといけない!自分を奮い立たせた。しかし、そもそも本の値段の相場がよく分かっていないし、恥ずかしくて声が出ない。
お店の在庫が減ってきている事を思い出す。ここで本を買わないと売る本が無くなる・・!お店が維持できなくなる・・!
頑張れ、私!
次々に本がテーブルの上に出てきたは誰かに買われていく。
中盤を過ぎたあたりでお店で売りたい本が出た・・!お店の在庫が無くなり、欲しいと思っていた本だった。売値が1冊200円だから30冊6000円で売れる!頭の中で瞬時に計算して声を出さないと他の人に買われてしまう。
競りが始まる。500、1000、1500・・・と値段が徐々に上がっていく。
私は思い切って声に出して言った。
「3000っ!!」
裏返って変な声になっていたに違いない。
「・・・・・。」
私が声を出してから数秒の間があった。
他に誰も買いたい人がいないか少し待って確認しないといけないのだ。
普通なら値が上がっていくのだが、その時は誰も3000円以上の値段を言わなかった。
「はい、ランランさん」と振り手が言った。
その場にいた古本屋の店主たちは優しかった。
値段を上げる事をせず、初めて声を出した新人の私に本を譲ってくれたのだった。
誰かが「おめでとう!」と言ってくれて、皆が拍手してくれた。
これが、初めて本を競り落とした瞬間だった。
追記:創作大賞2023の#エッセイ部門に応募するために1万字に収めました。38年前に古本屋を起業して今も営業しています。お話はまだまだ続きます。応援よろしくお願いします。
#創作大賞2023 #エッセイ部門 #主婦 #起業 #古本屋
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