見出し画像

波紋(良い意味で)

雨の一日。
お客さんは少なかったが、市外から訪ねてきてくれたり、頂き物をしたり、おおむね嬉しい日だった。

近く計画している仕事のために、思い切って大量(当社比)の仕入れをした。うまくやれなかったら来月の私が支払いに窮することになるが、なんとかするしかない。
少し前ならもっと絶望感があったが、今はまあなんとかなるか、くらいの手応えがある。
お客さんが、というより、仲間が増えた・増えていく感覚が続いている。先週の休みに思い切ってチラシ持って外回りできた成功体験もうまく効いているかも。思い切ってなにかアクションを起こせば、水面に投げた小石みたいに、さざ波が広がっていく。という感じ。
あくまで今は、という但し書き付きで、いい感じだ。
というかまあ人間先のことなんてわからないのでこの但し書きは当たり前すぎて何も言ってないに等しいのだが。

絶望しない、ということは、自分を傷つけていない、ということだ。と、さっき思った。
この一週間くらい、自己嫌悪してない。あんなにお馴染みだったのに。
なんかこう、「よその成功してる店と比べてこんなにみすぼらしい当店、しか作れない私」みたいなのやらなくてよくなってきました。
新刊と古本とバーゲンブックと仕入れ雑貨と委託ハンドメイドと蔵書室と貸しスペースと塾と読み聞かせと読書会、みたいなごった煮状態が、自分なりに飲み込めてきたような。
体裁整えるのはよそのおしゃれな店に任せて、自分にできることをやればいいんだなって。
そうやって肩の力抜いとくと、たぶん顔つきとか姿勢とか違うんでしょうね。スピリチュアルな話は専門外だけど、それ以前に物理的に体勢が違うから、ものごとの受け止め方が変わる。だから上手くいくようになるんだろうな。フォームができてきたというか。

このあいだお客さんに貸してもらった『どうげんぼうずという仕事』を読み進めながら、そんなことを思っている。
落ち込むのに使うエネルギー節約できてるから、近廣さんのいう「大人の仕事」ももっとちゃんとやれるようになるかもしれない。
アクセルを踏みつつ、走り続けられる速度を保ちながら、できるだけ長く進めるように、頑張る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?