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2014年の寺嶋由芙「太陽のじゅもん」- WACKと女川③-

2012年から始まった音楽事務所WACKさんやアーティスト、ファンの皆様と女川の交流について、今回は2014年からです。これまではこちら。

前回に引き続き、前書きですが、本記事の筆者は女川のイベントに出演されるアーティストの皆様を遠くから見させていただいている程度で、音楽にも実情にも詳しくなく、ただ、このnoteでは女川を知るために役立つ情報を提供できたらということで、調べて書いています。誤っている点等がありましたら修正致しますのでご指摘いただけたら幸いです。

2014年3月16日 女川町復幸祭2014 出演: BiS

2012年から音楽評論家の宗像明将さんが女川を訪問して記事を書いてくださっており、2014年の女川町復幸祭にBiSさんが出演した様子を次のように記しています。

プー・ルイは最初のMCで「女川の皆さん、ただいまー!」と言った。最初に女川町で出演した2012年9月23日の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」からメンバー構成も大きく変わってしまった。そして、2014年7月8日に解散するBiSにとってこの日は最後の女川町だった。

「女川とBiSをつないでくれた曲をやります」。そうプー・ルイが告げて歌われたのは「太陽のじゅもん」だった。
(中略)
「primal.」では、研究員が振り返るタイミングで「女川愛」のタオルが一斉に掲げられた。その光景に、須田善明町長も涙したという。

スクール水着の女の子がいたり、サンマのコスプレの男性がいたりと、BiSらしい馬鹿馬鹿しい光景も展開されたが、そのサンマコスプレには、座席で見ている背後の人にもわかるよう前後に「女川愛」と書いてあった。後で写真を見直すと、女川町の皆さんも笑っていた。

いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(後編)

サンマのコスプレの男性はこの方でしょうか。

ファン、研究員の皆様の熱量の大きさが伝わってきます。

このときの女川復幸祭に参加された方が作った動画

BiS【女川町復幸祭2014】終演後コメントを一部引用いたします。

プー・ルイ(リーダー兼ヨゴレ担当):泣きそうになりました。でも私たちが泣くのは違うと思ったので、泣きませんでした。BiSとして女川に来るのは最後でしたけど、またお客さんとして来ますよ。なので、研究員(BiSファンの総称)の皆さんは、私を見つけたら秋刀魚とか、美味しいものを奢ってください。

あと、女川の皆さん、BiSみたいな平和と無縁の人たちを4回も快く受け入れてくれて、本当に感謝してます。BiSにとって“唯一のハッピー”がここにあったんで。だからBiSとして来れなくなるのは寂しいですけど、また一般人として「ただいま」って言うので、無視しないでください。

BiS 最後の女川遠征もお祭り騒ぎ「“唯一のハッピー”がここにあった」

2014年9月21日 おながわ秋刀魚収獲祭2014 出演:寺嶋由芙

2014年のおながわ秋刀魚収獲祭には、2013年にBiSを脱退してソロ・アイドルとして活動する寺嶋由芙さんが来てくださいました。音楽評論家の宗像明将さんが女川を訪問してレポートを書いてくださっていますので、ふたたび引用します。

「私が女川町になぜこうしてお邪魔しているかというとですね」という言葉とともに、寺嶋由芙は自分がBiSのメンバーであったこと、BiS時代に女川に招かれたことなどを語りだした。驚いた。彼女が「BiS」というグループ名をパブリックな場で口にすること自体が、脱退後初めてだったからだ。
(中略)
2年前、2012年9月23日に開催された「おながわ秋刀魚収穫祭2012」のステージ上で、その女の子からの手紙を読み上げたのは、まさに当時BiSのメンバーであった寺嶋由芙だったのだ。
(中略)
その縁が今も続いていることへの謝辞のあと、「女川に負けないように私自身もどんどん成長して大きくなっていかなくちゃいけないなと、そんな気持ちを込めて次の曲を歌いたいと思います」と述べて、寺嶋由芙は次の曲名を告げた。「太陽のじゅもん」と。その瞬間、私の周囲の元研究員(BiSの元ファンの総称)たちが叫びにも似た驚きの声を上げるのを聞いた。
(中略)
そこまでして脱退したグループの楽曲を歌おうとした強い意志は、紛れもなく寺嶋由芙が女川という土地と真摯に向かい合おうとした結果だった。

縁はつながり、そして続く。 寺嶋由芙、八神純子ら出演「おながわ秋刀魚収獲祭2014」レポート(後編)

映像はこちら。
6分・太陽の呪文

42分・全ライブ映像

この日について寺嶋由芙さんのブログは次のように書かれています。

「太陽のじゅもん」は、私と女川町をつないでくれた大切な曲です。
(中略)
それがきっかけで私達は2012年9月の「おながわ秋刀魚収獲祭」に出演させていただき、2013年3月の「おながわ復幸祭」にも出演させていただきました。

2013年の9月の収獲祭は、私は観客として参加させていただきましたが、やっぱり女川で歌いたい、アイドルとしてここに戻りたいと強く思ったことを覚えています。
(中略)
そして今年の収獲祭は、今までと会場が変わっての開催でした。

震災前はここに街があって、津波が来た時、ここでたくさんの方が亡くなったと聞きました。

「この場所で祭りをすること、祭りができるようになったこと」について、昨日お世話になった高政蒲鉾の高橋さんはじめ、女川の方からお話をうかがっていたのです。
とても誇らしそうなお顔でお話ししてくださったのが印象的でした。

だから私も、ここで歌わせていただく意味をしっかり考えて、誇りをもって歌わなきゃいけないと思いました。

そして、女川遠征が決まった時、セットリストに「太陽のじゅもん」を入れたいと思ったのはすごく自然な気持ちだったのですが、それは間違いじゃなかった、自信を持って、感謝を込めて歌おうと思えました。
(中略)
「太陽のじゅもん」でできたご縁をこれからも大切に続けていけるように、そして今日をきっかけにまたいろんなかたちで「好き」がはじまるように、そしてそれがずっとずっと続いていくように、私なりの気持ちを込めたセットリストでした!

女川遠征2日目ヾ(*゚ω゚*)ノ

女川観光大使を担ってくださっている寺嶋由芙さんの誠実な想いが伝わってきます。また、引用させていただいてる記事を読むと女川の復興の様子も伝わってきます。

以上、2014年でした。2015年に続きます。

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