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2012年のBiS「太陽のじゅもん」-WACKと女川①-

今回は女川にご縁のある曲、音楽事務所WACKさん所属のアーティストBiSさんの「太陽のじゅもん」について。

最初に前書きを。

本記事の筆者は女川のイベントに出演されるアーティストの皆様を遠くから見させていただいている程度で、音楽にも実情にも詳しくなく、ただ、このnoteでは女川を知るために役立つ情報を提供できたらということで、調べて書いています。誤っている点等がありましたら修正致しますのでご指摘いただけたら幸いです。

音楽事務所WACKさんと女川のご縁は深く、女川のイベント(春の復幸祭や秋の秋刀魚収穫祭)にWACKさん所属のアーティストの皆様が出演くださり、2019年からはWACKさんと女川町が共催するイベント「ONAGAWACK」を開催。

以下は2023年12月のニュースで、2024年の「ONAGAWACK」の開催を見送るという内容ですが、これがニュースになるぐらい深い関係を築かれてきました。

そのきっかけとなったのが、BiSさんの「太陽のじゅもん」という曲だったそうです。

東日本大震災は2011年に起こりましたが、その翌年の2022年、女川さいがいFMに女子高校生から、ラジオで流れた曲名を知りたい、というメールが届いたそうです。

◎ラジオ局宛(女川さいがいFM)に届いた手紙
※ゆっふぃー音読の書き起こし

番組でかかっていた曲を教えてほしいです。
夕方聴いていたら聞こえてきました。7時前ぐらいでした。
女の子が「じゅもんじゅもん いたいいたいの飛んでこい
きみの痛みがしりたい」っていう歌詞です。
超可愛い曲でした。

でもおじさんの車の中で聴いてて
すごく泣いてしまいました。
友達が泣き虫な私に「いたいいたいの こっち来ーい」って
よく言ってくれてました。

その子は津波で亡くなって
私だけ高校生になってしまいました。

友達はすごく苦しかったと思う。
だから今度は私が言う番です。
この素敵な曲を聴かせてあげたいです。

「いたいいたいの飛んでこい」

曲名を教えてもらったら嬉しいです。
よろしくお願いします。

“アイドル”BiS 被災地で「いたいいたいの飛んでこい」

この曲がBiSさんの「太陽のじゅもん」という曲でした。

そこで、当時、女川のイベントを担当されていた蒲鉾本舗高政社長の高橋正樹さんがBiSさんの出演を依頼し、2012年9月23日、おながわ秋刀魚収穫祭にBiSさんが出演、ライブで太陽のじゅもんが演奏されたそうです。

高橋正樹さんは、女川さいがいFMにメールが届く前に、BiSさんのライブを見ていて、「これがほしい。今、女川に足りないのはこれだ」と衝撃を受けていたそう。

’11年10月、ロックバンド・ソウルフラワーユニオンの中川敬さんとのご縁で、京都で開催のフェス『ボロフェスタ』に震災に関するトークショーのゲストとして招かれた。空いた時間にいくつかのステージを見ていると、とんでもない光景が目に入った。アイドル? とファン? が狭いステージというか地下の会議室で、“正気じゃない”という言葉以外思い付かないようなパフォーマンスをしていた。床は汗で濡れ、天井からは何かが滴り落ち、完全な酸欠状態。BiSというアイドルだった。その様子を見て私は、「これがほしい。今、女川に足りないのはこれだ」と雷に打たれたような衝撃を感じた。愛を捧げる対象への激情。ひたすらに生きざまを叫ぶ。震災に打ちひしがれ下を向いてばかりいた我々は、今こそ地元愛を叫び、今日を生きようと前を向く必要があると。

翌年、「女川さいがいFM」に1通のメールが届いた。それはある女子高生からだった。「今日ラジオで流れていた曲の名前を教えてください。“イタイイタイのとんで来い”と歌ってました」。その女の子は泣き虫で、友だちによくその言葉を言われていたそうだ。友だちは津波で亡くなってしまい、自分だけが高校生になった。どれだけ苦しかっただろう。イタイイタイのとんで来い、今度は自分が言う番なのだと。それはBiSの“太陽のじゅもん”という曲だった。

avexさんからのご厚意で被災地女川町のイベントに所属アーティストをご出演いただけると連絡があった。私は即答で「BiSがいいです!」と伝えた。出演の依頼をするべく東京へ出向き、ご挨拶に行った。目の前にはavexさんの役員5人、そして一番端っこには出演を断ろうと思っていたBiSマネージャー・渡辺淳之介氏、のちの株式会社WACK社長がそこにいた。

【全文公開】蒲鉾本舗高政社長による新連載「女川とアカルイミライ」vol.1

このおながわ秋刀魚収穫祭で、当時BiS所属のゆっふぃーさん(寺嶋由芙さん)が女子高校生のメールを読み上げる音声がありました。

このときについて、ゆっふぃーさんはブログに以下のように書いていらっしゃいます。

実は、今回BiSが呼んでいただいた理由のひとつが、4曲目に歌った『太陽のじゅもん』という曲を聴いた女子高生の方からいただいたメールなんです。

女川さいがいFMさんでこの曲を聴いて、「痛いの痛いのとんでけ」と励ましてくれた、津波で亡くなってしまった友達を思い出して泣いてしまいました…って。

正直言葉がありませんでした。
こんな私達が行っていいの?って、すごく考えちゃって…自分たちの歌が、誰かにとってそんな意味を持つなんて考えたこともなかったし、そんな思いで聴いてくださる方の気持ちに応えられるのかな?ってすごく不安で。

ただ、曲そのものが、BiSとは切り離されたところでそうやって誰かに響いていたっていうことは、正直すごくびっくりしたけど嬉しかったです。

(中略)

私達は何ができたんだろう?

女川の皆さん、一緒に遠征してくださった皆さんに、本当に本当に感謝です。

パワーをいただいてばかりで申し訳ないな。

もっともっと大きくなって、またみんなで女川に行って、今回の恩返しをしたいです。

頑張ります(゚ω゚)☆

おながわ秋刀魚収穫祭ヾ(゚ω゚)ノ

この2012年のおながわ秋刀魚収穫祭でのBiSさんのライブは、雨の中で行われたそう。当日の映像はこちら。

ファンの皆様の迫力がすごい。

イベントの実行委員の皆様は、雨のため中止しようとしていたところ、ファンの皆様を見て、「この人らに帰れって言えねぇよなー。すげぇよなこのお兄ちゃん達。よし、やるか!」となったそう。

「実行委員長、あれを……わざわざ遠くから来たファンの人達やる気満々っすよ。こんな女川まで来て、泥まみれでブルーシートば敷いでいる人だぢに『中止です、やめてください』って、おらは言えねっす。中止にすんの簡単だげっと、お願いします。やりましょうよ!」実行委員長は「んだよなー。この人らに帰れって言えねぇよなー。すげぇよなこのお兄ちゃん達。よし、やるか!」笑顔でステージの続行を決断した。こうして、研究員の皆さんの熱意と行動のおかげで、歴史あるイベントは中止を免れた。

女川とアカルイミライ__第3回 BiSと女川のはじまり③

尋常じゃないムードは次第に女川町の人々を巻き込み、少年からおじさんまで一緒になってはしゃぎ始める。そして、終盤の「primal.」で研究員が一斉に振り返り、“女川愛”と記された手ぬぐいを地元の人々へ向かって掲げると、会場は優しい空気に包まれた。

“アイドル”BiS 被災地で「いたいいたいの飛んでこい」

ここから女川とBiSさん、WACK所属アーティストとそのファンの皆様とのつながりが生まれ、翌年以降、女川のイベントにWACK所属アーティストの皆様が出演し、ファンの皆様が女川を訪れてくださるようになったそうです。

以下、太陽のじゅもんの女川でのライブ映像。

2014年

2015年

2016年

2012年にBiSのメンバーとして女川を訪れ、女子高生のメールを読み上げたゆっふぃーさん(寺嶋由芙さん)は、2024年、女川町の観光大使になってくださいました。

以上、2012年の話でした。

その後、2013年-2018年の復幸祭とおながわ秋刀魚収穫祭、2019年のONAGAWACKのフェス、2020年のONAGAWACK FUCKiN’PARTY, SANMAR SONIC 、2023年のWE ARE ONAGAWACKERS、2024年のNEMPiREなりのフェス、と歴史が作られていったようです。

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