もう一つの土偶。内山遺跡の石棒と竪穴住居
先日、女川で発掘された遮光器土偶について触れましたが
もう一つ、女川で発掘された土偶がありました。
女川町鷲神にある内山遺跡から出土したものです。
内山遺跡は、縄文中期を中心とする多数の遺跡が採集されており、磨製石斧の出土量が町内随一で、石器の生産地とも考えられています。
また、大型の石棒が2点出土しています。
資料には「・・男根を象徴しているとも考えられる。特別な祭祀関係に使用された可能性が大である」とコメントが付されています。
土偶と石棒については、2021年に書籍「土偶と石棒―儀礼と社会ドメスティケーション―」(谷口 康浩)が出版されています。
説明には「土偶と石棒という異質なシンボルは何を意味するのか。縄文人のシンボリズムと儀礼行為のコンテクストから、先史社会のドメスティケーションに儀礼がはたした重要な意義を読み解く。儀礼考古学の挑戦!」とあるので、土偶と石棒どちらも出土した女川の縄文人を理解するうえで読みたい本です。
縄文土器の破片も見つかっており、
見つかった縄文武器の突起部分は、以下のとおり、河南町宝ケ峰遺跡から出土した縄文土器の突起と同じであるといいます。
河南町宝ケ峰遺跡から出土した縄文土器は、石巻市前谷地にある宝ヶ峯縄文記念館に展示されているそうです。
このようなカタチの縄文土器が女川の土の中にまだ眠っているかもしれません。
内山遺跡は東日本震災後に調査が行われ、竪穴(たてあな)住居が見つかったそうです。
竪穴住居は、地面を掘り下げて、地表面より低い位置に床面を構築する建物。いわば半地下に住むわけですが、なぜ半地下だったのでしょうか?
地中の温度は一定であるため、夏は涼しく冬は暖かい、外壁が土になるため少ない材料で家をつくることができる、風よけになる、などの理由が挙げられるようです。
縄文時代にここに人が住んでいた。石斧を使って生活して、土偶や石棒などを用いて祭祀を行っていたかしれません。
詩人、白鳥省吾の誌の一節を再掲