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鷲神浜といのちの石碑

鷲神浜にあるいのちの石碑を訪問。

逢いたくて でも逢いたくて 逢えなくて

女川から石巻に向かう基幹道路のそばにあります。

神社と祭り

鷲神にある神社といえば、熊野神社。

東日本大震災での被災は免れたが、山を削って高台を造成する復興事業に伴い仮の社殿に移転、2020年に新社殿が完成。

熊野神社は祭りも注目されています。

少子高齢化などで全国的に祭りが減少している中で、熊野神社は震災翌年から祭りを復活、地域外の多くのボランティアが祭りの運営に参加するなどして、祭りを持続的発展的に開催。この点を解説した記事はこちら。

「心の復興の一環として祭りをどうしても再開させたかった。」と岡さんは語る。(中略)

しかし、神事である例大祭を地域外のボランティアと一緒に運営していくことに対して様々なハードルがあったという。

「最初はよそ者に神輿を担がせおって、と批判がありました。しかし、来てくださる方に復興を支援してもらう中で、ボランティアはよそ者じゃないと地元の人間の気持ちが変化していった。今では地域内外なんて関係ない。みんな女川の仲間なんです。」

また、ボランティアとの関係性を持続発展的なものにするため、岡さんが心がけていることがあるという。

「普段女川に来られない方との心の距離が離れないように情報発信は常に行なっています。そして来てくれた時には魅力あるおもてなしをするんです。これまでは自分たちが支援を受けてきた。今度は自分たちがおもてなしする番だと思っています。関わってくれた人にとって女川を第二の故郷だと思ってもらいたいし、鷲神熊野神社をみんなの神社にしたいんです」

そんな岡さんの話を聞くうち、私は岡さんにとっての祭りとは何か知りたくなった。

岡さんはこう語ってくれた。

「祭りは女川の魂。町は津波に流されたかもしれない。けれど、魂は流されなかった。そして今、たくさんの人達が魂に共鳴して一緒に盛り上げてくれている。僕はそれが嬉しいし、一層自分たちの故郷に誇りを持てるんです。」

https://omatsurijapan.com/blog/bokutachi-no-matsuri-1/

「復興したから祭りをするのではない。祭りをするから、復興するんだ」。そう力強く語っていたのが、岡さんだった。

https://asttr.jp/feature/chizu/06/index.html

お祭りを通じて地域の内外につながりを築き、お祭りも、地元の人も、女川にご縁がある人々も一緒に盛り上がることができる、このようなカタチの祭りはこれまであまりなかったそうです。

なお、祭りのとき「獅子振り(ししふり)」が行われますが、「獅子舞(ししまい」ではなく、「獅子振り」という名称で行われるのは石巻や女川などの一部の地域に限るそう。その特徴を解説した記事はこちら。

戦争と慰霊碑

鷲神にある鷲神公園には、女川から出征され、尊い命を捧げられた英霊の方々を追悼する慰霊碑が建立されています。


また、その傍らには、第二次世界大戦下、女川湾において連合国軍との海戦に従事された大日本帝国海軍女川防備隊の英霊の方々を追悼する慰霊碑が建立されています。

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日には連合国のイギリス海軍機動部隊所属機による女川への空襲があり、湾内で「大浜」や「天草」など[14]の日本海軍の艦艇7隻(海防艦2隻、掃海艇1隻、駆潜艇1隻、特設艦船2隻、小型タンカー1隻)が撃沈された[15][13]。これらの戦没者を弔う慰霊碑が国道398号線沿いの湾を望む場所に建てられ、大地震による地盤の亀裂などもあり2021年7月に鷲神公園に移設された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%B7%9D%E6%B9%BE

なお、この海戦において戦死されたカナダ海軍パイロットを追悼する記念碑が女川町地域医療センター敷地内にあり、追悼式が行われています。

この日本とカナダの交流の始まりと現在については、2024年1月、カナダ大使が山野内勘二さんが以下の記事で詳しくまとめています。

鷲神には様々なお店がありますが、スーパー「おんまえや」さんとカフェ&ライブハウスの「おちゃっこクラブ&ダイヤモンドヘッド」があります。詳細はこちら。


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