石浜といのちの石碑
石浜にあるいのちの石碑を訪問
その隣には、昭和8年3月3日の昭和三陸地震の教訓「大地震の後は津浪が来る 地震があったら津浪の用心」と記した石碑がある。
この昭和三陸地震の教訓を記した石碑は町内に10基あるとのこと(出典)
近くには熊野神社があります。300年前に建てられたと言われています。
サン・アントン
石浜が日本史や世界史に出てくるのは、江戸幕府を開いた徳川家康の時代。スペインの探検家、セバスティアン・ビスカイノが、徳川家康、伊達政宗の許可を得て沿岸の測量を行い、石浜や浦宿、雄勝などを良港だと報告しました。
セバスティアン・ビスカイノはアメリカを探検して、現在の「サン・ディエゴ」を命名しましたが、石浜を「サン・アントン」と命名したそうです(出典)(女川町誌)
ときはヨーロッパ諸国による植民地の獲得競争が行われている時代。東アジアでは、ポルトガルがマラッカ(マレーシアの一部)を征服、スペインがフィリピンを征服、オランダはインドネシアを征服しており、隙あれば、日本を征服しようとしのぎを削っていました。
オランダは、このセバスティアン・ビスカイノの測量をスペインによる日本本制服のための準備行為であると非難。スペインと貿易しようとした伊達政宗の思惑もありましたが、最終的に、江戸幕府はスペインとの交易を止め、オランダとの交易を続けていくことになります。
このあたりは2024年に大ヒットした真田広之が主演したドラマ「SHOGUN」で描かれた時代ですが、もしかすると、三陸沿岸がスペインの支配下に入って、石浜が東アジアの貿易の拠点「サン・アントン」として栄えた未来があったのかもしれません。
御殿峠
石浜には御前浜につながる山道、御殿峠があります。
現在の石浜から桐ケ崎、竹の浦と続く海沿いの道路(リアスブルーライン・国道398号)ができる前に使われていた道ですが、この御殿峠の歴史は古い。
以前は、鎌倉時代に作られた神社(羽黒大権現奥院)があり、ここに近隣の修験者が集まっていたようである。
また第二次大戦中、空襲が多くなると、御殿峠に電波探知機が設置され、敵機の空襲の予知が行われたという(wiki)。