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女川の豊満な土偶と縄文ブーム

縄文がブームになって久しい。

1952年、岡本太郎は、単なる工芸品として取り扱われていた縄文土器を「美術品」として再発見、日本芸術の原点がここにあると解釈した。

以降、「縄文」は芸術関係者や研究者、マニアなどの間でその魅力を広げていくが、10年ぐらい前から、一般の人々、特に女性の間で「かわいい」「キュート」な存在としてブームを広げていく。

2014年に出版された譽田亜紀子氏の『はじめての土偶』、2015年に創刊されたフリーペーパー「縄文ZINE」などがその火付け役と言われているが、2018年には、縄文の謎に迫るドキュメンタリー映画「縄文にハマる人々」が公開された。

様々な縄文の中でも、ひときわ人気があるのが土偶である。

1959年、この縄文ブームの中核にある土偶が、女川で発掘された。しかも全国でも最大級の大きさを持つ遮光器土偶であるという。

遮光器土偶の「遮光器」とは、目のあたりにスノーゴーグルのようなものをつけている点を指しているというが、土偶の中でよく知られている形。

遮光器土偶の一つに、以下の宮城県大崎市の恵比須田遺跡から出土した遮光器土偶があるが、女川で発掘されたものはこれと同じ形であるという。

遮光器土偶・宮城県恵比須田遺跡出土

以下が女川で発掘されたものである。

女川で発掘された遮光器土偶 女川町誌続編p474

下半身だけであることは残念だが、女川で土偶が見つかったという事実は大きい。ロマンを感じる。

もしかして将来発掘を進めたら、女川から完全体の土偶が見つかるかもしれない。それは全国の土偶女子を惹きつける土偶かもしれない。

女川町誌には、女川の土偶について、詩人の白鳥省吾さんの誌が掲載されている。

女川町誌p992

土偶
白鳥省吾

土偶の沈黙は語る
生きる喜びと愛を
古代より現代への夢を
この土偶と
現代との間に
二千余年の隔たりがあると学者は言う。

今、卓上に置かれた土偶を恍惚と見る
こぼれた国土に指を触れる

室内には昨日、忠実にしゃべるを揮つた数人の学徒
緑に咲く鉢植の菊花
窓外の秋雨
啼く小鳥。

この豊満な土偶の
デザインの美と鮮新
心は遥かに年代を忘れ
古代と親しく語る。

女川町誌p992

女川の縄文遺跡

土偶だけではない。
女川には縄文時代の遺跡が多く、27もの縄文時代の遺跡がある(出典:女川町東日本大震災復興事業関連遺跡発掘調査報告書-平成26 ~ 30 年度発掘調査-)

その縄文の一つに、出島の縄文時代の配石遺構、ストーンサークルがあるが、それはあらためて記したい。

多くの人々を惹きつける「縄文」、それが女川にある。

土偶の沈黙は語る
生きる喜びと愛を

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