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2013年のBiS「primal.」とタオル -WACKと女川②-

2012年、音楽事務所WACKさん所属のアーティストBiSさんの「太陽のじゅもん」という曲がきっかけになり、WACKさん、WACKさん所属のアーティストの皆様、そしてそのファンの皆様と女川の関係が始まったことを前回に書きました。

前回に引き続き、前書きですが、本記事の筆者は女川のイベントに出演されるアーティストの皆様を遠くから見させていただいている程度で、音楽にも実情にも詳しくなく、ただ、このnoteでは女川を知るために役立つ情報を提供できたらということで、調べて書いています。誤っている点等がありましたら修正致しますのでご指摘いただけたら幸いです。

音楽評論家の宗像明将さんが、2012年から女川のイベントを訪問して記事を書いてくださっていますが、2017年、2012年のライブについて以下のように書かれています。

BiSの過去最高のライヴは、2012年9月23日の「おながわ秋刀魚収穫祭」だと私は考えている。初めて女川町を訪れたところ、瓦礫が撤去された後の更地が果てしなく広がっていて衝撃を受けた時代だ。そして研究員は20人程度しかいなかった。

「ウェルカム」な空気感が呼ぶ「仲間」たち BiS、SCK GIRLSら出演「女川町復幸祭2017」

今回はその翌年、2013年、BiSさんが女川の年2回のイベント、春の復幸祭、秋の秋刀魚収穫祭に出演してくださったお話です。

2013年3月24日 女川町商店街復幸祭2013 出演:BiS

ファンのためのバスツアーが組まれ、東京からファンの皆様らが女川にきたそう。現場を訪れた音楽評論家の宗像明将さんのレポートによると以下の通りです。

BiSは、3月16日の両国国技館ワンマンライヴを終えてからこの日が初のステージ。両国国技館でワッキーが脱退したため、プー・ルイ、のぞしゃん、ユッフィー、ミッチェルという4人のBiSとして初めてのライヴでもあった。しかし、それが女川町だったのは彼女たちにとって幸運だったのではないかとも思えるほどの盛り上がり。いつもメンバーの自己紹介ではファンがリフトされるのだが、この日はユッフィーの自己紹介の際に彼女のファンである女川町の須田善明町長がリフトされる事態となった。

「BiS」では、ステージ上のBiSと同様に、ファンが体育館の通路を使って縦一列に並んだ。「nerve」では、ファンが数日前から女川町に入って製作した神輿が登場して体育館を練り歩く。

「primal.」では「女川愛」という文字が入ったタオルをファンが客席に向けて掲げていたが、これは雨が降っていた「おながわ秋刀魚収穫祭」のときに会場で売っていたタオルを活用したことに端を発するものだ。そしてサークルモッシュが恒例の「レリビ」では、大サビを待たずに冒頭からファンが体育館を走り出し、さらにはメンバーがファンをステージに上げて自分たちは客席に降りた。唐突なファンのマラソン大会は楽曲が終わるまで続いた。

そしてこの日、重要な意味を持っていたのは「太陽のじゅもん」という楽曲だ。昨年も「おながわ秋刀魚収穫祭」に出演したBiSだが、その出演のきっかけは女川さいがいエフエムに寄せられた一通のメールだった。津波で亡くなった友達が自分に言ってくれていたことを楽曲の歌詞で思い出して泣いてしまった、彼女は津波で亡くなって自分だけが高校生になった、友達にこの素敵な曲を聴かせてあげたいので曲名を教えてほしい、という内容のメール。その楽曲がBiSの「太陽のじゅもん」だった。

「おながわ秋刀魚収穫祭」でその手紙がユッフィーに読み上げられた後に歌われた「太陽のじゅもん」では、いつもの口上やコールをファンが一切せず、鎮魂歌として女川町の空に響いていった。雨の降り続ける野外ステージでの出来事だ。「女川町商店街復幸祭2013」でも同様に口上やコールはなく、ただサイリウムだけが灯された。

そしてBiSのライヴ中、私は気がかりなことがあった。BiSが女川町に来るきっかけを作ってくれたあの高校生の女の子は会場にいるのだろうか、と。この日は彼女の引っ越しと重なってしまい、BiSの時間だけ来ると言っていたのだが、高橋正樹さんも電話がつながらないと言う。

彼女がBiSのライヴに途中から間に合い、会場に着いたときまさに「太陽のじゅもん」が歌われていたと知ったのはイベント終了後のことだった。その事実を知ったとき、ポップミュージックの魔法のようなものを感じた。気恥ずかしいのだが、そう感じてしまったのだ。

また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(後編)


当日のBiSさんのライブの様子の映像はこちら

レポートに「「primal.」では「女川愛」という文字が入ったタオルをファンが客席に向けて掲げていた」とありますが、このシーンについて。

メイン会場の女川第一中学校の体育館のほか、学校の校庭にセカンドステージが設けられ、メインのライブの前に、BiSのコピーユニットのナグリアイさんがライブを実施。

BiSのコピーユニットのナグリアイのライヴは、シャチが飛び交い、砂煙が上がり、本物のBiSのメンバーも観客に混ざって見ているという馬鹿馬鹿しい盛り上がりの中で終わり、その後いよいよ体育館のメインステージへと移動した。

また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(後編)

その時の映像がこちら。

BiSさんのファンを「研究員」というそうですが、新宿から夜行バスにのって女川に来た研究員の方がこの時の思い出の動画を作られています。

2013年9月22日 おながわ秋刀魚収穫祭2013 出演:BiS

ファンの皆様が東京から女川にくるツアーバス、前回は1台でしたが、今回は2台だったそう。再び、音楽評論家の宗像明将さんのレポートから。

1年前の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」のとき、女川町まで来たBiSのファンは20~30人ほどだったのではないかと思う。それが今年の「おながわ秋刀魚収穫祭2013」では、その10倍はいるのではと思うほどBiS関連のTシャツを着てる人が多かった。

(中略)

そして「おながわ秋刀魚収穫祭2013」では東京から異常な量の物資が運び込まれ、ちぇるさー(ミッチェルのファンの総称)がミッチェルのために、彼女のBiS在籍時のさまざまなヲタ芸を再現していくという趣向を展開していった。

チャリフト(自転車ごとBiSのファンをリフトする行為)、BiSのファンの全身を印刷した5メートルはある巨大なボード、きぐるみ、大量の提灯、女装、ダンディ坂野のコスプレ、スクール水着、組体操、ビート板……。入念な仕込みが生み出す馬鹿馬鹿しさ、ナンセンスさの連続であり、圧巻だった。

「primal.」のサビでは、BiSのファンが両腕を上げて後ろを向くときに女川町関連のタオルを掲げる。それは、昨年の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」でのBiSのライヴが降りしきる雨の中で行われたことに由来するものだ。今年の「おながわ秋刀魚収穫祭2013」では、バスツアーの乗客に配布された「BiS NEVER FORGET ONAGAWA」のタオルを掲げる人が多かった。一斉にタオルを掲げる光景に涙する女川町の人もいると毎回聞く。

女川町を訪れるとき、部外者としてのもどかしさを抱えながら、しかしせめてBiSが女川町の人々にひとときの笑いをもたらせたら、と願わずにいられない。

「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート後編

このときBiSさんのインタビューが女川のラジオで流されています。その時の音源がこちら(8分すぎから)。

会場での研究員の皆様の様子。

東京から夜行バスで女川に来た研究員の方のブログがこちら。

primal.のとき、タオルを掲げた研究員の方のツイート

以上、2013年でした。

復幸祭、秋刀魚収穫祭どちらも、研究員の皆様が「primal.」という曲のさびで女川関係のタオルを掲げていますが、これは2012年9月の女川でのライブから生まれたそうです。

「primal.」のサビでは、BiSのファンが両腕を上げて後ろを向くときに女川町関連のタオルを掲げる。それは、昨年の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」でのBiSのライヴが降りしきる雨の中で行われたことに由来するものだ

「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート後編

そして、2012年のライブに参加したBiSのファンである研究員の皆様は、女川以外でもprimal.のとき、女川愛のタオルで掲げてくださっていたそう。

サビで研究員が掲げている「女川愛」のタオルは、「夏の魔物」の翌日に女川で開催された「おながわ秋刀魚収穫祭」でのBiSのライヴの際に買われたものです。
さらに、このイベントのために、女川の蒲鉾本舗高政様から「BiS」のロゴ入りのカマボコをたくさん提供していただきました。
この映像は、青森での「夏の魔物」から女川での「おながわ秋刀魚収穫祭」までにBiSが紡いだ「縁」の記録です。

https://youtu.be/3hoOLo8H5zo?feature=shared

2012年、2013年とみてきましたが、この流れが背景にあって、2025年2月23日「NEMPiREなりのフェス」が開催されます。


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