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田舎で~本屋営業日記⑤

走る本屋さん高久書店の固定店をオープンして3カ月が過ぎ、私の中で、これまでの感覚や書店員としての在り方が大きく変わりつつある。

オープンした2月、たしかにそのお爺ちゃんは毎週のようにお店に足を運んでは、本との出会いや、私との語らいを楽しんでくれていた。

ところが3月になると、お爺ちゃんはぷっつりと姿を見せなくなった。


心配とともに、何か不快なことをしてしまったのだろうか・・・自身の対応を顧みていた。

ある日、公衆電話から一本の電話があって「入院してしまったので、残念だけれど、もう本屋には行けないかもしれない・・・。」と落ち込む声でお爺ちゃんが連絡してきてくれたのだった。

咄嗟に「読みたい本があったら、いつでも遠慮なく言って。届けるからね。」と口にしていた。

あれから2カ月が過ぎ、覚えのある声が受話器から聞こえてきた。

あのお爺ちゃんだった。「○○さん、大丈夫なの?調子はいいの?」

「実は月末、退院できることになったんだ。でね、悪いけれど、これからは自宅に本を届けてくれないかな?本は読みたいけれど、店まで自分は行けそうにないんだよ・・・。」

二つ返事で了承していた。純粋に嬉しかった。

いま、開店3カ月を経て、本屋として1冊を贖って貰える事の有難さや、ご縁を、これまで以上に犇々と感じている。

企業書店員時代には、NOだったことが、ほぼ、YESに変わりつつある。

「24時間の御用聞き」とでも言えばいいのだろうか。当店で本を求めてくれるお客さんはたぶん「私」から一冊を買うという応援の意味も込めた人が多くいて、お店に足を運んでくれるお客さんの殆どは顔と名前が一致するようになっていった。そんなお客さんはSNSだったり、個人携帯(ショートメール含)だったり、いろいろな角度から、様々なツールでコミュニケーションをとってくれる。何時でも。ときには県外の遠方から、私の選書で構わないから〇冊送って欲しいというような依頼もあったりする。そのようなお客様の都合に合わせた需要に対して、今はほぼYESとして応えている。

店が開店している、していないに関わらず24時間365日、本屋をしているという働き方に心も体も変わりつつある。

思えば、企業書店員時代なら無理だったことばかりをしているのだ。

大きな企業型店舗は不特定多数の従業員で構成されているから、一定の規則は必要だし、それに基づいた制限などは要求される。多くのお客さまに同様のサービスを施していく為にも互いのルールが重要である。

けれども、それで良いんだと思う。どだい個人書店と企業書店に求められる内容は異なる。大きな企業書店が出来ない部分に、小さな個人書店、街の本屋の生き残り戦略があると思っている。開店直後にコロナ騒動が発生し、図書館などの公営施設が休館してしまった。全国の大きな書店(とりわけ館入居型)も同様に止む無く休業に追い込まれた。

そんな中で、「開いていて助かったよ」「ネットに無いから取寄せして」「雑誌を配達してくれる?」「本を送ってくれない?」「webショップもやってよ」・・・多数の要望や励ましの声が、町の本屋の役割を自ずと教えてくれ、どこにコミットしていけばいいのかを知る結果となった。

コロナ時代を生きるために、本屋としてしなければいけないことが見えてきたような気かする。

近年、働き方改革という言葉を耳にする。要は、効率よく働ける社会にしようということに他ならない。然し乍ら、誰が誰のための改革なのかと思ったりもする。今般、推奨された在宅勤務やリモートワークや時短といった働き方は、在宅勤務やリモートワークや時短などが出来ない立場で働く皆さんあってこそ、その土台の上にある。

小さい時分から「働かざる者喰うべからず」と吹き込まれて育ってきた自分にとって、少なくとも自分の働き方は、自分で決めたいと思う。たとえ、それがどんなに非効率なアナログであっても、「やった!働いたぞ~」と、そんな自分の心と並行できる充足感が大切なのではないだろうか。職業に貴賤はない。当然働き方にも。これからも常に本屋としてのSDGsを考えながら歩みたい。

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