『隷属への道』と『なぜガザなのか』の交差点
サラ・ロイの『なぜガザなのか:パレスチナの分断、孤立化、反開発』は、ガザ地区におけるイスラエルの経済制裁と封鎖が、パレスチナ人の自由と生存の可能性をどれだけ深刻に奪っているかを具体的に描き出している。ロイは、1946年にイスラエル初代大統領ハイム・ヴァイツマンが述べた「国の経済的な吸収力は、その国の住民たちが造るもの」という発言を引用し、教育や社会システム、資源管理がいかに重要であるかを指摘している(サラ・ロイ, 『なぜガザなのか』)。しかし、ロイは、イスラエルが半世紀以上にわたる占領を通じてパレスチナ人のこれらの要素を切り崩し、経済的な自立を不可能にしていると主張する。この現実は、経済的自由がどのようにして一部の権力者による支配と暴力の手段となるかを如実に示している。
こうした問題を考えると、フリードリヒ・ハイエクの『隷属への道』が警告する「自由の喪失」というテーマが頭をよぎる。ハイエクは、中央集権的な計画経済が個人の自由を脅かし、全体主義へと向かう危険性を警告した著作である。彼は「計画経済は自由主義の原則と衝突する」と述べ、経済計画の遂行には権力の集中が不可避であることを指摘している(ハイエク, 『隷属への道』, p.88)。このような計画経済の体制化は、結果的に「最悪の独裁」に繋がるリスクがあるとハイエクは警鐘を鳴らしている。
現代の日本における新自由主義的な政策も、別の形で自由を失う「隷属への道」を進んでいるように見える。特に竹中平蔵の政策はその典型例だ。竹中は小泉政権下で経済財政政策担当大臣として、規制緩和、民営化、労働市場の自由化を進めた。これらの政策は、自由市場を掲げながらも、実際には一部の大企業や富裕層に利益を集中させ、労働者の権利を削減し、経済的格差を広げる結果を招いた。
具体的には、竹中は労働者派遣法を改正し、製造業への派遣労働を解禁したことで、非正規雇用労働者の割合が2002年の29.4%から2015年には37.5%にまで増加する結果をもたらした。また、正社員と非正規労働者の賃金格差も大きく拡大し、雇用の不安定化と低賃金が広がった。このような政策の結果、30代後半の男性の平均年収は2002年の558万円から2009年には497万円に減少し、格差が顕著になった。
また、竹中が進めた政策と彼の個人的な利益の関係についても批判がある。竹中は派遣労働市場の拡大を推進しながら、自身が役員を務めるパソナグループが派遣業界で利益を上げているため、「利益相反」の疑いが広がっている。このような背景から、彼が自身の経済的利益を追求しているのではないかという疑念が深まっている。
竹中の政策は「中抜き平蔵」として批判されるが、その背景にはハイエクが指摘する「自由の名のもとに行われる権力の集中」というリスクが新自由主義にも当てはまることが示されている(ハイエク, 『隷属への道』, p.185)。竹中の進めた新自由主義的改革は、自由市場を装いながらも、実際には特定の利益集団を優遇し、社会全体にとっての「新たな隷属」を生み出している。市場の自由が一部のエリートにのみ利益をもたらすとき、それはもはや自由ではなく、支配と隷属の構造となる。
さらに、イスラエルによるパレスチナへの経済制裁と支配の強化もまた、竹中の政策と同様に、資本と権力の集中による自由の制限を象徴している。1946年、イスラエル初代大統領のハイム・ヴァイツマンは、シオニズムの経済的実行可能性を主張し、「国が最終的に養うことのできる住民の数については…その社会システムが経済的努力を最大限、広範囲に拡張させるか否か…にかかっている」(サラ・ロイ, 『なぜガザなのか』)と述べた。この発言は、教育、社会システム、資源管理が重要であると強調する一方で、イスラエルは占領を通じてこれらの要素を半世紀以上にわたり切り崩し、不可能にしてきたとされる。特にガザ地区は、その典型的な例である。
ガザの現状について、サラ・ロイはさらに述べている。「ガザは依然として破滅へ向かっていると非難されるだろう。ガザが望めるのは、救援が関の山だ」(『なぜガザなのか』)。イスラエルによる封鎖は、住民の生活を圧迫し、経済的な苦境を深めるために意図的に維持されているという。国連も「問題は、ガザは生存可能かどうかではない。…ガザがあとどのくらい持つかだ」(『なぜガザなのか』)と述べ、封鎖の終結と実質的な支援が求められる状況を訴えている。
トマ・ピケティは『21世紀の資本』において、経済的不平等が拡大する原因として資本の収益率が経済成長率を上回る現象(r > g)を挙げている。この点は、竹中の新自由主義政策が結果的に富裕層に資本を集中させ、格差を拡大させるプロセスとも一致する。ピケティの議論は、資本主義の中での不平等の根本的な問題を浮き彫りにし、新自由主義がその問題をさらに深刻化させることを示している。
このような状況は、ハイエクが警告した「権力の集中が自由を損なう」という現象を如実に示している。イスラエルが、自国の防衛を理由に封鎖を正当化する主張は「批判的に吟味され、法的に明らかにされなければならない」(『なぜガザなのか』)。占領による経済的・社会的制約が強まることで、ガザや西岸地区のパレスチナ人は自由な生活を奪われ、経済的発展の権利さえも脅かされている。
日本の戦後の米政策もまた、国家による計画的な経済管理の例として考えられる。政府が米の生産や流通を統制し、価格の安定や生産調整を行うことで、経済活動の自由が制限されてきた。特に減反政策や買い上げと価格の安定や生産調整を行うことで、経済活動の自由が制限されてきた。特に減反政策や買い上げ価格の設定は、自由市場の原則を歪め、特定の利益団体を保護する仕組みを生んだ。これもまた、ハイエクが恐れた「自由の名のもとに行われる権力の集中」である(ハイエク, 『隷属への道』, p.185)。
ハイエクの『隷属への道』は、自由を守るために政府の過度な介入を警戒するだけでなく、市場原理主義が暴走した場合にも新たな隷属を生む危険性に気づかせてくれる。竹中平蔵の政策は、新自由主義の名のもとで社会の大多数を犠牲にして一部のエリートに利益を集中させるものであり、ハイエクの警告する「隷属」の現代版だ。資本が国家の役割を乗っ取り、民主主義自体をも危うくする資本主義の暴走に対しても、我々は警戒を怠ってはならない。
現代の経済政策には、竹中の経済政策の失敗を繰り返さないための新たなアプローチが求められる。累進課税、富の再分配、公正な競争の確保、社会的セーフティネットの強化など、社会全体の公平と安定を実現するための具体的な対策が不可欠だ。ハイエクの思想を現代に当てはめるとき、国家による隷属だけでなく、資本による隷属にも目を光らせなければならない。
竹中平蔵の新自由主義的政策の結果として生まれた社会的な問題は、日本だけでなく、グローバルな文脈においても他国の政策に影響を与えている。経済政策の見直しを通じて、社会的正義と持続可能な経済成長のバランスを取る必要がある。これが実現できない限り、ハイエクが恐れた「隷属への道」は、経済政策の名のもとで着実に進行していく。
いずれにせよ、イスラエルは1948年の建国自体が間違いであり、植民地支配であることに変わりない。かつての敗戦前の日本と同類だろう。
参考文献
1. 『隷属への道』フリードリヒ・ハイエク 春秋社
2. 『なぜガザなのか:パレスチナの分断、孤立化、反開発』サラ・ロイ 青土社
3. トマ・ピケティ. 『21世紀の資本』みすず書房
4. 「労働力調査年報」および「労働力調査(詳細集計)」総務省
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