とりとめのないこと2022/07/16
竜とそばかすの姫、金曜ロードショーが延期されたらしい。
映画館で観た時は、音楽の詩が良くて覚えてる。
うちの祖父ですらSNSのアカウントを持っているこのご時世。
僕は職人さん繋がりのTwitterとInstagramをやっていた。
要するに完全にリアル繋がりのある人たちだけだった。
それがあることをきっかけに趣味のアカウントをそれぞれ作ることに。
最近ではなく去年の6月くらいから疑問に思いながらも趣味アカウントを運用してきている。
疑問が深くなったのはその頃、ドイツ人哲学者、マルクス・ガブリエルが色んな場所でSNSは全部アカウント消してしまった方が良い、と言っているのを見たからだ。
ビッグデータを扱う企業に喜んで無償でデータを提供し続けて踊り続け、いいねシステムに絡め取られ、ハッシュタグやメンションで感情の波形が歪な形に変えられる。
正直、noteもSNSに近い。
リアルで連絡取り合う仲だと、少なくとも僕は今のところ、相手が「消える」ということがほぼない。
しかし、SNSだと、簡単に消えて転生したり、逆に、増やして転生的なこともできる。
今までの積み重ねはじゃあ、茶番なのか?とすら思えてもくる。
もちろん、そんなのは個人の勝手だ。
しかし、SNSというのは、油断していると、距離をガッと詰めてきて、あたかも心開いたかのような振る舞いもできてしまう。
対面だとまず有り得ない。
でも、現実では知り合えないような人たちと共通の趣味のことで、繋がれたりもする。それが表面的な繋がりかどうかは置いておいて。
だからこそ、距離も簡単に縮めることができるのかも知れない。
けれど、それは所詮、幻想の世界であることをきちんと頭の片隅に置いておかないといけない。
忙しくなったり、さまざまなな理由で、ある日、消す。
データを消す。
日々、コツコツと思い思いのことを書いていたことの積み重ねや、そこで色々と輪を広げてきたコミュニティのようなもの。
SNS上でのそうしたものというのは、極論、ただのデータでしかない。
ユーザーが意図せずとも、各社のバックエンドでビッグデータがうごめきながら各々のアルゴリズムに則って体系付けられ、赤の他人の目に止まるように、あるいは、目に止まらないようにされていく。
そんなデータに人は一喜一憂しながら、時には、真摯にコミュニケーションを図ろうとする。
生き物のように毎秒、データはダイナミックに変化しながら潮流を作っていく。
生き物なんかじゃない、ただのデータなのに。
だから、簡単に、潮流に乗ることも可能だし、パチンと部屋の灯りを消すように、消せる。
そうした中での対人関係というのは非常にリスキーでもあり、一概には言い切れないが、薄っぺらいものでもある。
例えばこんなケースもあり得る。
Aがネット上で友人関係になり、LINEでかなりプライベートな相談をするようになった。
現実世界では会ったこともない顔すら知らない相手だ。
その相手をBとしておこう。
BはAの相談内容をぼかしながらもSNSで暴露し相談されていることが迷惑だと言いながらも、その間もAとBはあたかも友人かのように相談し、相談に乗っていた。
ある時、ようやくAはBが自分のことを大っぴらに揶揄していたことに気付き、互いにブロックし合って、縁切りになる。
現実世界なら、プライベートなことを相談していい相手かどうかくらい分かることが多く、そうした事で傷付け合うことも少ない。
誹謗中傷もそうだろう。
顔を見て普段から知っている間柄なら、簡単に相手の目につく場所で揶揄したり、勘違いされるような内容の話し方はしない。
心に余裕がなかったり、悩みやすい性格だと、真意も見えずらいネット上のやり取りでいちいち悩むかも知れないし、他人の表面的なデータが全てキラキラして見えたり、嫉妬心を煽られたり、自信を喪失したりするかもしれない。
現実世界のコミュニケーションでは、体温や表情はもちろんのこと、各々の僅かに見え隠れする生活での悲喜交々なこともコミュニケーションを重ねていくと感じたりする。
SNS、あるいはもっと先のメタバースでは、コミュニケーションを重ねたところで、前述のものに対応するものは、ほとんどが見せかけの幻想でしかないかもしれない。
大声で、「助けて」、と呼んで、助けに来てくれるのは近所のおばちゃん、おじちゃんで、ネットのデータ共有者たちではない。
消せなくなるかも知れない仕組み、ブロックチェーンとか、がメタバースのバックエンドに必ず実装されたとしたら、即消せるどころか一瞬でデジタルタトゥーのように永遠に消せなくなるかもしれない。しかし、またアカウントを作れば、ゼロからまた虚構の世界で虚像を作ることができる。
実体のない虚無しかない世界は刺激に溢れて簡単にアドレナリンを分泌させてもらえる。
自分の欲望のベクトルに沿ってなければプラットフォームの異なるメタバースで、転生し、虚無の砂漠を彷徨い、根無草のように浮遊する。
虚無の砂漠の宇宙空間には小さなコミューンがいくつも点在し、複雑怪奇に繋がる。
ドゥルーズのリゾームみたいだ。
そして、僕はGoogleやnoteの検索に出てくるようにハッシュタグをこの記事を投稿するときに付けて、パチンと部屋の灯りを消すかのように、書いたことすら忘れる。