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西へ ⑤ ただ東風を待つのみ

蘇州と言えば、三国志、呉の時代、孫策と孫権の兄弟によって統治された土地でもある。

三国志演義(三国時代を書いた物語)の好きな僕は、肌で遥か昔を感じたくて、晴れた土曜に少し散策へ出かけた。

子どもの頃、夢中になった本のひとつに三国志がある。
吉川英治さんと北方謙三さんの両方を僕は読んで、どちらも甲乙つけ難いほど好きだ。
けれど、吉川英治さんの『宮本武蔵』が好きな僕はやはり、吉川英治さん派になってしまう。

北方謙三さん版は漫画にもなっているし、去年からラジオドラマとして放送されているようだ。
吉川英治さん版はオーディブルで聴ける。

また、NHK人形劇の『三国志』もDVDで持っている。こちらは父親だか祖父が好きで買ったようだ。

昼は晴れていると気温は10度近くまで上がり、夜は放射冷却現象もあって氷点下まで下がりとても寒暖差がある。

勉強不足なため、儒教文化をあまり知らず、現地に赴いて、はじめて知ることが多い。
300年続いた漢の時代は儒教が国教とされたが、その後、漢が衰退して、三国志の時代には、それに抗う武将たちもいただろう。

儒教は孔子の教えであり、仏教とは違う。
けれど蘇州城しかり建造物はどれも寺のように見える……。

呉の統治者、孫策には名軍師であり名将でもある周瑜が右腕として、また、友人として付いていた。

三国志演義は蜀漢の劉備玄徳が主人公みたいなイメージが僕にはあり、僕の中で軍師といえば、諸葛孔明でもあった。周瑜は諸葛孔明の影になってしまってイメージが少し薄い。

周瑜は三国志正史(物語ではなく三国時代を書いた歴史書)で、容姿端麗で忠誠心の高い優秀な軍師ともされているようだ。

孫策との友情があったからこそ、孫策亡き後、弟の孫権にも忠誠を立てて軍師として仕えた。

男の友情美談の最たるものに思えてロマンがある。

そうして、回廊を見て回ると、回廊の曲がり角で周瑜が東を見つめている姿がぼんやりと頭に浮かんだ。

有名な赤壁の戦いで呉は蜀漢と歩調を合わせ、曹操率いる魏に対して大勝利を納めた。
この勝利の決定打は、火攻めであり、それを決断したのは周瑜である。

独断ではなく、経験と、さまざまな角度から導き出し判断したのだろう。
そうした決断に至るまで、周瑜は抜かりなく準備しつつも、東の協力者でありライバル軍師、諸葛孔明を待つ。

万事俱备
wàn shì jù bèi
万事準備は整った
只欠东风
zhǐ qiàn dōng fēng
ただ東風を待つのみ

三国志演義では、諸葛孔明とのライバル面や怒りやすいという極端な性格像が作られているが、実際の周瑜は地盤と人脈を重視する非の打ち所がない人物でもあったようだ。

僕は独断的に陥りやすいため、周瑜のこの漢文を胸にしまって、少し残しておきたくなった。

高台から東を見ると、ビル工事や改修工事のクレーンが伸びているのが目に飛び込んでくる。
東の空から天翔る馬の蹄の音とともに周瑜や孫権、諸葛孔明や劉備たちが現れるのを想像するにはあまりにも遠く、現実的な目の前の風景に少しため息が出た。

ビル建設、現代というのはどこか物悲しい。

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