とりとめのないこと2023/01/27 見放された空間
見放された空間──電話ボックスがこんなにも暖かく僕を世界から隔絶してくれるなんて思ってもみなかった。
仕事で北陸に来ている。湿気を含む重たい雪が降り続き、交通量や人通りの少なさ、静まり返る道。
侘しさと寒さとが、ひと続きになって寂寞の円弧の輪郭のひとつのように、僕の心の薄い氷を張った湖の湖面に波紋が広がっていく。
視界の悪い静寂と白の世界。そこに見放されたかのような緑の電話ボックスが申し訳なさそうに佇んでいた。電話ボックスに入ると目の前の雪景色の現実から切り離されたかのような安心感と何処か懐かしい優しさを持つ、僕が心の奥底に沈めた世界がそこにあるように思えた。
そんなに多くの恋をしたわけじゃない。
僕が誰かと恋に落ちたことは大袈裟でも嘘でもなく、2回しかない。いや、正確には3回かもしれない──僕がそうやっていくつかの親密な温かさを通して自分を知り始めたのは僅か10年と少し前だろうか。まだ、いまのようなマスクをしなきゃいけなかったり、SNSで逢うひとを決めるだとか、そんな馬鹿げた世界が当たり前のように口を開き、小さな金魚のように泳ぐ誰かを飲み込もうとする時代でもなかった。
寄り添ったり、受け流したり、赦したり……。
そんな静と動の曖昧さを感じ取るためには、ひとは緩やかな時間の流れと自然──時には冬の厳しさも──が必要なのかもしれない。
僕の偶然を共有した共犯者たちのひとりは今でも群青色の夜の中でひっそりと雪のように沈黙の持つ深淵を語ってくる。
恋人ではなかった。大事な恩人。
僕をこちら側にしっかりと繋ぎ止めるために、彼女は言葉ではなく、僕の肖像画をスケッチし続けた。スケッチブックとともにある日、雪が止んだ朝みたいに消えた。
緑の電話ボックスの中で、10円玉を入れた。繋がるはずのない、あるいは、繋がってほしくない電話番号。
電話に出れなかった夜。掛け直した日。
僕は何処に居るんだろう──陳腐な感傷でもいい。貧しきひとの優しさとはそこから生まれてくるときもある。
堕落した愛のような湿気を重く含んでいた雪は漆黒の闇が侵食し始めると宙を軽やかに舞う粉雪になり始めた。
僕が逢いたいと願う──いまは神さまと一緒にいる──ひとたちのように。
Kyrie eleison──主よ、憐れみたまえ
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