読書回路の進化 - デジタル時代にあっても深読みを育むために
こちらの記事は以下「読書との対話 : How to read a book」マガジンに収録させて頂きました。
はじめに
人間の脳は柔軟に適応できる不思議な器官です。生物学的に決まった機能を超えて、読書や計算などの新しいスキルのための専用回路を作り出せるのです。この「限られた可塑性 (plasticity: 形を変えやすく、元に戻りやすい性質)」が、既存の神経構造を転用し、新たな機能に特化した回路網を構築することを可能にしています。
以下文献を参考にさせて頂きました。
読書回路の可塑性
読書はまさにそうした文化的発明品の典型例です。言語能力とは異なり、読書には専用の遺伝子がありません。読めるようになるには明示的な学習が必須なのです。そのため、理想的な読書回路の設計図はひとつとは限りません。アルファベットか漢字か、あるいは学習環境などの要因で、読書回路の形成は変わってくるのです。
読書時の脳内プロセス
読書の脳内プロセスは極めて複雑です。単語を認識すると、注意が集中(スポットライトが当たる)し、視覚、言語、認知、感情、運動など多くの領域で神経細胞が活性化します。両半球に跨がる(またがる)このダイナミックな動きにより、単語の形態、音価、意味、連想、発音が瞬時に処理されます。銀河系に匹敵する規模の神経結合が生み出されているのです。
深読みの重要性
このように単語一つを読むだけでも高度な認知作業が行われていますが、読書の真の素晴らしさは、そうした単語の認識を超えた深遠な領域にこそあります。つまり理解力、推論力、共感力、洞察力といった人間最高の認知・感情能力が総動員される「深読み」です。
深読みとは、著者の世界に浸り込み、考えをめぐらせ、感情移入し、新たな視座を獲得する奇跡的体験なのです。この一人で味わう思索と対話こそ、人類の知的発展を何千年もの間支えてきた源泉なのかもしれません。
デジタル時代の影響
ただ、デジタル文化が浸透するにつれ、読書回路の進化に思わぬ副作用が生じているのではないか、と危惧されています。デジタルメディアの特性が、深読みに不可欠な認知プロセスを阻害し、別のプロセスを優先させてしまう可能性があるからです。
情報をすぐ手に入れられ、刺激に惑わされがちな環境下で、批判的思考力、想像力、知識構築力が委縮し、推論や内省の深遠な回路が適切に発達しなくなるかもしれません。
デジタル時代に必要な脳の進化
しかし一方で、新しい技術が人間の認知能力をさらに高めるきっかけにもなり得ると考えられます。ですから、伝統と革新の二者を対立的に捉えるのはもはや現実的ではありません。大切なのは、様々な能力をバランス良く発達させる「多能な読書脳」の育成です。つまり、深読みから生まれる優れた理解力や想像力と、デジタル時代に求められる新しい機能を両立させ、認知的に多様な回路を形成することを目指すということです。
幼い頃から、そうした環境を与え、人間性の深遠な部分とつながりを持たせていくことが肝心なのです。
読書回路から学ぶべきこと
人類の発明は、たびたび私たちの神経回路を作り変えてきました。読書回路の変化を的確に捉え、批判的に検証していくことは、人類が持つ洞察力、思いやりの心、そして自立した思考力を守る責務なのかもしれません。
アリストテレスの言う「善き人生」を体現する「良き読者」こそが、そうした責務を負う存在です。読書回路に学び、次世代にその恩恵を残すことが、私たちに課された使命なのかもしれません。