読書日記【007】なにを怖いと感じていたのか
午睡から目醒めると雨が止んでいる。外を散歩するが、植木の葉っぱ、ポリバケツの蓋、車両のボンネットを濡らす水滴を除けば、通り雨の痕跡は見つからない。夕空にはピンク、灰色、濃紺色の三色の雲。
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上記は鶴屋南北の東海道四谷怪談について。当時の人々を理解する方法の一例として、当時の人々の恐怖の対象を学ぶことを挙げている点が印象に残る。
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イタリアの劇作家ピランデッロの短編小説『すりかえられた赤ん坊』──ある日突然、自分の赤ん坊が全く知らない赤ん坊に入れ替わっており、それを幽霊の仕業だと信じて錯乱する母親──を読み、心底怖いと感じた。
なぜこの話を怖いと感じたのか?
考えてみるうちに辿り着いたのが、私は(母親にとっての赤ん坊のように)大切な人を失う(それは相手の「失踪」だけでなく、想定外の「変貌」も含まれるかもしれない)ことを過度に怖れているのではないか、という仮説。
恐怖には様々なバリエーションがある。高所恐怖症、暗所恐怖症、閉所恐怖症、先端恐怖症、嘔吐恐怖症、ピエロ恐怖症……。相手が何を怖れているのかを知ることは、相手が何を大切にしているか(それを失いたくないと思っているか)を知ることにつながる可能性がある。
理不尽に見える行動を取る相手に対し、なぜそのような行動を取るのかではなく、何を怖れてそのような行動に駆り立てられているのか、と考える。恐怖の観点で紐解けば、対人理解に新たな地平が開かれるかもしれない。
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夜、アピチャッポン・ウィーラセクタン監督の『ブンミおじさんの森』という映画を観た。
何かが起こりそうで何も起こらない。と同時に、何も起きていないかのようにさりげなく何かが起きている。静かな映画だが、画面には常にただならぬ気配が充溢していて、とてもスリリングな映画でもあった。
他の監督作品をもっと観たいのだが、映像作品はほとんど絶版……。
2022/05/02(月)