「自分で選ぶ」or「他人に選んでもらう」
「子どもの頃から本を読みまくっていましたが、親とか先生の勧める本なんて目もくれなかったと思いますよ」
「読書にとって大事なのは、まず雑食です。雑食状態を通り抜けて、初めて自分の心が何を求めているかが見えてきます」
↑は7月28日(日)に放送された「村上RADIO」における春樹さんの一言。心の底から同意します。
子どもの頃、まったく関心を抱けない本を母親から渡されたことがあります。「自分で読もうと思って買ったけど、先にどうぞ」みたいに。
困りました。「いや、いい」と断ったら表情が一変。「せっかく買ったのに」と意味不明な返しをされました。
結局しぶしぶ受け取り、ほとんど開かず。おそらく母も。そもそも本を読む人じゃなかったし。
その書籍は当時一時的に流行っていたようです。それで何となく買っちゃったけど合わなかったのでしょう。
職場で「何がオススメですか?」と訊かれれば答えます。でもnoteでやっているみたいに自分から勧めることはほぼ皆無。なるべく自発的に出会ってほしいから。それがリアル書店の長所だから。
正直レジを打ちつつ「このテーマならあれを買えばいいのに」と感じることはあります。「お、この人はわかってる」と嬉しくなるケースも。一方で私の意見が絶対正しいとも思っていません。むしろお客さんが自分で考え、悩み、選んだのならすべて正解という気持ちの方が強い。
本を一冊読み通すのはラクなことではありません。慣れないうちは特に。だからこそ根気を保つために「自分で選んだ」が必要になってくる。
逆にいえば「他人に選んでもらった本を素直に受け入れ、読了し、何かを得る」のは上級者の振る舞い。少なくとも昔の私にはムリでした。
いまは目利きの店主さんやベテランの書店員にオススメを訊き、買う本を決めることに興味津々。斜め上の何かを期待します。