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ブッダを知ったかぶった話

この間ある来客があって私含め数人で応対しました。一人は私よりいくつか年上の方、もう一人は一回りぐらいしたでしょうか。前者の方が何気なく放った言葉で、私の脳内クラウドでリンク切れ放置で眠っていた一つの格言というかあるあるというか法則を強烈に思い出したのだった。

「釈迦に説法ですが」っていう人とうまくいったためしがない

一応アゲていただいているという心遣いはわかりますよ。まさか釈迦まで上げられるとありがたみも謎ですけど。でも結局「ご承知かと思いますが」「当然ご存知かと思いますが」ということでしょう。そんなさらっと言えばいいことに余計なニュアンスを挟む必要はないでしょう。「釈迦に説法ですが」っていわれたら一応「いやいや」っていわなきゃいけないじゃないですか。涅槃で受け流すにもいかないですよ。

というかなんというか、お前は釈迦かもしれないけど、知らないかもしれないから一応言っとくね、的な不遜さというか挑戦的な態度みたいな匂いも一方で見え隠れするわけで。つなぎ言葉なのにいらん意味をこれ以上つけるなと。つまり相手を上げたのは、すきあらば上に立ちたいというようなまさかの釈迦ごえという下克上をほのめかせているともいえますよ。

という言葉通りの受け身を取ってもナチュラルに痛いのですけれども、そもそも「釈迦に説法ですが」というのは、「釈迦に説法をするような愚かなこと」のたとえであって、そもそものオトナ語的な用法が間違っているのであったよ。だからどっちからもきつい。十分にリトマス試験紙になりうる言い回しだといえるだろう。一つはカミゴエならぬ釈迦超えという不遜さ。もう一つはそもそもの意味がわかっていないということ。

なのでもし使いたい場合はアレンジすればいいと思うんだ。「〇〇さん神っすわ!、釈迦的にも説法できないっす」「釈迦に説法だと思いますがキリスト的な立場から言わせてもらいますと」「釈迦にゾロアスターだと思いますが受け入れられません」「社歌で説法は大概パワハラですよね」とかね。いや何も言いたいわけじゃなかったですってば。

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