映画評 ハーフオブイット 面白いのはこれから
生きづらいがデフォな現代で、コミュニケーションについて描く事。そこから浮かび上がる普遍性。表裏一体ではないあなたとわたしの先に待ち受けているもの。
ネタバレ有りですので観賞後にお読み下さい。
プラトンの饗宴の引用から始まり、シラノドベルジュラックを下敷きにした本作。大昔の古典で幕を開け文芸色の濃い作品ですが物語が進むに連れ、各々の心の奥に潜むものが紐解かれていく内に言葉では追いつけない根源的な愛の本質に近づいて行く。
頭脳明晰・几帳面で色気の無いクールな主人公 エリー・チュウは鉄道局長の父親と駅で二人暮らし。舞台は田舎町の高校最後の年。彼女は小遣い稼ぎに講義の代筆業をしている。ひょんなことから口下手ポールから恋するアスターへのラブレターの代筆を引き受ける事となる。
アスターを口説き落とす為、チュウはポールになりすましメールのやり取りを重ね、アスターへと接近していくのだが・・・。
ストーリーが進むにつれて徐々にチュウとアスターに共通点が多い事が明らかになっていく。読んでいる本や思考回路。しかし校内での立場は全く違う。カースト上位の彼氏を持つ美女アスターとジョック達(不良というか筋肉マンというか馬鹿の総称)に中国系の名前を馬鹿にされているチュウ。はた目には苦悩の少なそうなアスターも実は同調圧力と心の通わない彼氏との関係に静かに苦しんでいる。
アスターを偵察中のチュウとポール
正体を偽ってやり取りを続けるチュウ。メールで親密になっていく二人。やっとこの田舎町で理解者を見つけたような、名前の無い感情が二人を強く結びつけていく。途中ポールが順調に進むアスターとの関係に気分を良くし、2倍払うと告げるもチュウはお金はもういらないと告げる。お金ではない動機があるのだ。もっとアスターを知りたいというチュウ自身の欲望。
映画前半のクールなチュウとおとぼけポールの会話の掛け合いが漫才のようで心地良い。卓球を会話になぞらえて口下手なポールにラリーをしながら会話のコーチをするシーンがあるのだが、徐々に明かされることのなかったチュウの内面の吐露へと繋がっていく。何事も理論的に捉えてベストを尽くすチュウだが「対話」は一人では出来ないと知る名シーンだ。
すり替えメール作戦は功を奏し、ポールはデートを成功させる。しどろもどろな会話を遠隔でサポートしつつ、二人が少しずつ近づいていく姿を影から見つめるチュウの表情の切なさは彼女の抱えている感情の複雑さを表している。
後に何故アスターを好きなのかチュウは問う。単純な言葉でしか表せないポール。するとチュウの口をついて出たアスターの素晴らしさを讃える言葉とその親密な観察眼にポールは歯痒い気持ちを抑えられない。上手く伝えられないというモチーフは移住したものの英語を使いこなせない鉄道局長のチュウの父親のエピソードに繋がっていく。
お手製・自慢のタコスソーセージ🌮で、すっかりチュウパパとも仲良くなるポール
嫌がらせを受けつつもポールのサポートで学芸会での個人演奏をやり遂げ、生徒達から称賛を浴びるチュウ。戸惑いと喜びを静謐な表情で魅せる演技は本作のハイライトの一つだろう。
やがて偶然めぐり合ったアスターとチュウはアスターの秘密の場所へとドライブへ。そこは人里離れた山中に沸いた小さな温泉であった。躊躇せず脱ぎだす姿を直視出来ずまるで「童貞」の様に戸惑うチュウ。挙句の果てに自分はTシャツのまま入湯。
初めてまともに言葉を交わす二人。ラジカセから流れる音楽を聴きながらたわいもない言葉を重ねて心を通わせていく。次第にアスターの抱えている悩みやパーソナルが打ち明けられていき、答えのない問いの中を遊泳する。
水面に浮かぶ2つの顔が水に反射し揺らいでいる。世界と溶け合い、たゆたうようなこのシーンは本作の白眉だろう。自分自身のもう片方を見つけたような気でいた。しかしそれは幻想なのだ。私たちは永遠に分かりあうことなんて出来ない。初めはその事が絶望の様に感じられるかもしれないが、いつか気が付くのだ。だからこそ他者を尊重し思いやりの心を持つことが出来るのだと。
物語は後半、教会を舞台にそれぞれのエモーショナルがうねりをあげて、剥き出しの心でぶつかり合う。言葉では説明出来ない感情の爆発。
「出口なし」だった3人が惹かれあい、結びつき、それぞれの道へと進んでいく。未来の邂逅を予期させるラストはとても安らかな気持ちにさせられた。面白いのはこの先なんだ。これから待ち受ける未来にもっとそれぞれの可能性があるはずだ。
「信じられるものを見つける」
強く美しくシンプルな、本作の台詞で幕を閉じます。現代を生きる全世代に勧めたい、とても良い作品でした。
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