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映画評 ペインアンドグローリー

ネタバレ有りです。鑑賞後に閲覧ください。とても素敵な映画ですので是非映画館で。

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生きる事から痛みを取り除く事は難しい。恵まれたもの・貧しいもの・どちらでもないもの、それぞれの痛み。

巨匠ペドロアルモドバル監督の自伝的最新作。痛みと栄光を観て感じたこと。というより過去との邂逅。

中学生の頃、学校帰りによくレンタル屋に一人で入り浸っていた。あのGEOにいけば必ず私が居ると友人に笑われたこともあった。映画をまとめて借りてとにかく見まくった。冷たい質感の映画が好きだった。いろんな意味で怖いものが見たかった。表現の極に触れたかった。よりどころを見つけられないでいた。

その中でアルモドバルのバッドエデュケーション(2004年発表)に出会った。狂熱とタブーな雰囲気に惹かれた。

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アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作などで当時ぶいぶい言わせていたガエル・ガルシア・ベルナル主演というのも大きな要因だった。当時はアルモドバルの名前も知らなかったと思う。ジャケ買いに近いような感覚でさくっと自室に籠って見てみた。

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少年期、同性への性の目覚め・神父の性的虐待・女装・映画製作・かつての恋人との再会と秘密・・・。アルモドバルの半自伝的作品。

田舎の14歳男子に与えた衝撃は大きかった。親にも友達にも見せられないヤバいものを見てしまった焦り・困惑・優越感・背徳感。それより何より、大きく心に残した衝撃は「表現は自由」であるということだった。暴力の歴史更新中なこの世でフィクションとはいえパーソナリティを偽りなく表すことの勇気にただ震えた。そして少し息がしやすくなった。

子供なりに想像してみた。全世界に自身の中身を晒すことの恐怖を。ナイフのような視線。骨を砕く言葉の数々。女装したガエル・ガルシア・ベルナルを僅かでも美しいと思った心を見透かされたら自分は差別・嘲笑の的になるのか?ならそもそも美しいって何だ?

あれから16年経った。いろんな事が起きた、世界中で、身の回りで。髪はみるみる白くなっていっている。そして今も映画を見続けている。

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今朝、初めて映画館でアルモドバルの映画を見た。あのウイルスの影響でたった14席しか座れない小さなスクリーン。当日チケットを購入しようと端末をのぞき込むカップル、あえなく1席しか残っておらず劇場を後にしていた。「もう。だから言ったじゃん、小さいとこだって」彼らはどうしてこの作品を見ようと思ったのだろう。今になって聞きたくても、さっきにはもう戻れない。

あれからいくつも彼の作品を見ては、相変わらずカッコ良くて、カラフルでしかも赤ばっかりのヘンテコなもん撮ってるなと、都度初めて見るのに懐かしい感覚にさせられていた。

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しかし今回は少し違っていた。今まで見たことのないペドロアルモドバルだった。彼もまた私と同じように齢を重ねていたのだ。年老いて傷付いていた、当たり前の話だけれどその事が衝撃だった。いつまでもエネルギッシュで鮮烈なイメージを作品に閉じ込め続けてくれるものだと勝手に思っていたからだ。蓄積する様々な種類の痛みはかつて張りのあった皮膚に深いしわを刻み、亡霊のように付き纏う栄光と現状との齟齬に静かに一人懊悩する。達観の果てのつかの間の手慰みと独り言に嘯きながら手を染めたヘロインがいつの間にか悪癖に変わる。慢性化した痛みは幻想で取り払えるものではない。自分の気持ちが豆粒みたいに小さくなった時に酒を煽る私自身と彼とドラッグの規模は違えど親近感を覚えた。そして寂しくなった。

作中、20数年ぶりに疎遠になっていたかつての自身の作品の主演俳優と再会する。ヤクで昏睡している間に、PC上で誰に見せるでもなく書き残していた「過去」についてしたためた文章を読まれてしまう。

「どうして発表しないんだ?」

「それは忘れるために書いたんだ」

思い出したくもない、忘れたいことからはきっと、ずっとそのままにしているだけでは逃れられない。対峙して、それを乗り越えなければ人は前に進めない。もちろん時間が解決することもあるだろうがそれが全てではないと思う。

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いつか私たちは私たち自身に蹴りを付けないといけなくなる日が来るのだと思う。それがどんな形で目の前に現れるか、10分後か50年後か、は誰にも分からない。いくら濾過しても消えない心に引っかかる滓。それをうやむやにして破れかぶれに自棄を起こしてもいいが、絶対にツケは回ってくる。Hardcore will never die, but you will. 

アルモドバル自身がモデルの主人公映画監督を演じるのはアントニオバンデラス。アルモドバル作品には欠かせない盟友。雄弁で蠱惑的な瞳の輝きは変わることなく輝き続けていた。本作の主人公とかつての主演俳優と同じように二人は仲違いしていたこともあったそうだ。そんな二人は記憶を辿る。幼少期の貧しくも美しい日々・熱病のような性の目覚め・かつての恋人・母親の若かりし頃と晩年。現在の自分を形作っている全てのものについて。現在と過去を飛び越え本当に大切なものを確かめた後に、進むべき道を選ぶ。

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逡巡も包み隠さずさらけ出し、映画監督としてこれまでとこれからの「人生」に対峙する生き様・矜持を血だらけの鏨で刻み込んだ本作から勇気を貰った。年老いてひび割れても、人生へのかっこいい蹴りの付け方だった。

先月亡くなった映画監督・森崎東の言葉が頭を過ぎる。

「映画は記憶の芸術である」

記憶は愛である ~森﨑東・忘却と闘う映画監督~ (2013) と題されたNHKのドキュメンタリーの冒頭のシーンを思い返す。曇天の浜辺に佇む森崎東氏。物覚えの悪い自分でも未だに忘れることのない数少ない言葉の一つだ。

ペインアンドグローリーは紛れもなく記憶と愛の物語だった。どうもありがとうアルモドバル。これからもよろしくね。海の向こうのあなたへ、電波に乗せたキスを。

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