祖母が教えてくれたこと
思い出すのは、もう15年以上前の元気だった頃の祖母とのエピソードが多い。
最後は数年入院もしていて、その期間意思の疎通もできなかった。その数年のことをあまり思い出せないのは、きっとその間、私が祖母に会った時間が少ないからだろう
最後の数年、何で会いに行かなかったのか
倒れてからというもの、自分は進学、そして就職と結構目まぐるしい日々を過ごしていたから。ていうのは、ただの言い訳になってしまうかもしれない。その間も友達と遊んだりはしていたのだから。
実際のところ、あんなにパワフルだった祖母が急に意思疎通ができなくなり、どんどん病状が悪化。そして治療の際も、まだ喋ることができない小さな子どものような声を出し嫌がっている。それも次第にできなくなってきた、その現状を受け止めきれなくて、見ないふりしたのかもしれない。
見ない方が楽だったし、辛くなかった。
だから、あまり病院にも行かなくなったのかもしれない。
今思えば、何でそんなことしたのだろうと思う。もっとしっかり、どんな祖母とも向き合えばよかった。もっと話しかければ、回復したのかもしれない。少しは力になれたかもしれない。
都合よく良いところだけ見て、悪いところは見なかったり、そこから離れたくなる私の悪いくせだ。
そんな私も、祖母の最後にはしっかり立ち会った。人の死の瞬間に立ち会うのは、今のところあれが最初で最後。
看護師さんから「最後まで耳は聞こえているので、たくさん話しかけてあげてください」との声があった。そこで、一生懸命戦って最後を迎える祖母に私がかけたのは、引き留めの言葉。でも、こんなに頑張ったんだから、そして、今までたくさんお世話になったのだから、ねぎらいの言葉と感謝を伝えるべきだったな、と思う。でもその時は、自分が寂しいという気持ちだけだった。これまた都合が良い。
そんな引き留めの言葉も虚しく、戦いを終えた祖母は「ピーー」という機械音と共に天国へ登って行った。
葬儀の日、祖母の体がなくなる前に花と手紙を添え、私は大人とは思えないくらい声を出して泣き崩れた。そして、その涙はなかなか止まらず、熱い炎の中に祖母が入れられてからも。
こんなに声を出して大泣きしたのも、今のところこれが最初で最後かもしれない。
手紙で思いを綴ったものの、やっぱり今だに残る後悔。会える時にもっと会えばよかった。どんな状況でも、ちゃんと受け止めればよかった。
人はいつかいなくなる。だから、会える時間を大切に。
大好きな祖母が死を持って教えてくれた。
でも、10年の時を経て、急に身近な人が亡くなり、私はまた似たような後悔をした。。。そして、祖母が亡くなった時に思ったことを、また強く思い出した。なんで、忘れてしまっていたんだろう。
今目の前にいる人は、明日も絶対にいるわけじゃない、いないかもしれない。ここ最近会ってなくて、でもまた会えるだろうと思っていた人も、もう会えないかもしれない。
彼女たちが命を持って教えてくれた生き方、そして死を持って教えてくれたこのことを、今度こそ忘れないで、目の前の人との時間を大切に。そして、伝えたいことはちゃんと伝えよう