最近、よく考えること。

この先、飽きずに一生やり続けられることって、見つかるんだろうか?
何をやり始めたって、そのうち飽きて興味がなくなってしまうんじゃないか?
だったら、私は何を追い求めてるんだろうか?
って。

何をやってもそれなりにできる方だし、クオリティもそこそこだと思う。
周りの人にとってはそれが不思議みたいで、なんか褒められたり羨ましがられたり、することもある。
実際私は、何かを表現することが好きみたいで、文章考えたりデザインを考えたり、歌ってたりするときは夢中で、まあこういうことはいつまでも楽しめるのかもしれない、と思う。
実際目的はあっても、途中からどうでもよくなっちゃって、自分がイメージするものを作りたい!ってただそれだけだったりする。
だから、それに対して褒められても、まあ嬉しいんだけど、なんかムズムズする。

大きな組織にいると、日々仕事は回っていくし、やってる感もあって、別に不満はないのだけど、やれ競合に負けるなだの、毎年製品開発は常に追っかけっこで、もっともっともっともっとって、一体どこまで続くんだ?って感じ。
他社が何か新しいものを生み出したのなら、それが欲しい人はそれを買えばいいし、もっと違うものを求めてる人に対して、全然違うものを開発したっていいじゃないって思うのだけれど。
まあ、社会的に見るとそれだといくらでも高値で売れちゃうから、ダメなんだろうけど、でも高いなら買わないって人だっているだろうし、なんか、競争の勝負じゃなくて、ユーザーとの勝負の方が、意味あると思うんだけどなぁ。

そもそも働くことって、突き詰めれば自給自足の手段であって、自足のラインが明確だったら、もうそれ以上はいらないわけで、組織の中にいても、もうこれくらいでいいだろ〜って内心は思ってる人、たくさんいるんじゃないかな。
でもなんか日本人の特性なのか、もっともっと常に進化し続けなければ、みたいな幻想?
そりゃ全く売れなくなったら、他の方法を考えなきゃいけないけど、常に勝ち続けようとするのは、本来の目的見失ってるよなー。

だから、乗っかれないのかな。その思想に。
目的が見えないから。

働くってもっとシンプルで、目の前の困っている人の役に立って対価をもらうとか、周りの人は苦手で、自分は簡単にできることをやってあげて対価をもらうとか、そんなことなんだと思うんだよなぁ。
自分にはできないから、人はその行為に価値を感じて、お金という形で評価する。
そりゃそうだよな、自分で出来ることなら、自分でやるから、価値は0円だ。
そもそもが、こっちが提供するものを、これくらいの価値だ!って金額決めて売り出すとかって、ものすごいエゴじゃない?
もちろん原価があるものは、物質保存の法則的に最低限の価値は決まるだろうけど、そっから上はお客さんに決めてもらおうよ。
それで1円の価値もつかないなら、それは求められてないってことだし、それ以降はもう自分がやりたいかどうかだけで決めようよ。

なんか、結局何が言いたいのかわからないけど、盲目的に組織にいられるのは、あと何年かなーって感じ、だね。


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