社会人3年目で転職した話①~就活→入社まで~
実はこの6月で退職、7月から新しい企業で働き始める。
今日に至るまで、たくさんの転職活動記を読んで、ケーススタディし、時には励まされてきた。
自分のための備忘録だが、もし誰かひとりのためになることがあれば、この上なく幸いです。
☆簡単な自己紹介
20年卒、関西の国立大を卒業し、ストレートで入社したごく普通の文系学生。
入社後は法人営業(新規営業・アカウント営業)を経験し、3年目の春に転職決定。
①そもそも就活時に何を考えていた?(大学3年春・夏・秋)
就職活動を始めた大学3年の夏。
本当にやりたいことが決まっていない、量産型の就活生だった。
逆に、譲れない条件がはっきりしていたので、それがすなわち軸になった。
譲れない条件は下記の3つ。
以上だった。これしかなかったし、社会人3年目でも変わっていない。
逆にこれ以外決まっていなかったものの、これまでの進路の決め方や趣向性から、一つの業界にどっぷり浸かりきるよりは、多業種を相手にする方が好きだし向いていると感じていた。
総合的に考えて、コンサルや広告代理店、人材サービス系を見ていった。
周りには長期インターン(今思えば、労働力が足りていないベンチャーに短期的に役立つ便利屋として使われていた、と友達は言っていた)に精を出す人もいたが、
私自身は体育会の部活に所属していた上に、フィールドワークの研究だったためそれどころではなく、1dayインターンばかり行っていた。
今振り返ってみると、本選考以前の活動は、私のように何にもこだわりがない人間が
「とはいえ、この分野は絶対にないな」
「この業界知らなかったけどありだなぁ」
と、「希望業界・希望業種の輪郭」を徐々にはっきりさせるための活動だった。
この活動自体が本選考に直結しているケースって、
入社してふたを開けてみるとレアだし、
本気度が高い人、会社に合致している人はあとの先行でもバンバン決まる。
自分の希望業界がはっきりしている人、行きたい会社が決まっている人にとっては不要な活動だと思う。
②大学3年冬~大学4年春
大学3年生の12月ごろ、ある業界にポイントを絞った。
「PR業界(パブリックリレーション)」という業界なのだが、
広告代理店から派生した業界で、いかに影響力・波動を生むか、そのためなら手段は問わないという趣向性に惚れた。
ただ、広告代理店が担っていることも多く、広告代理店には行きたくない私にとって非常に狭き門だった。
(昔からTVのCMが嫌いだった私は、広告代理店と多分合わないなと思った)
当時、新卒採用をしている会社自体がおそらく国内で5~6社、そのうち関西拠点を持っている会社自体が2社だった。
ちなみに私は防災の研究をしており、公共事業に民間企業からアプローチするという活動に強く興味を持っていた。
その中でビビッと惚れた事例がこちら。
こんな仕事をしたいなぁと思いながらもさすがに2社しか受けないという状況はリスキーすぎたので、
類似の企業、商流が似ている企業、防災分野でよく名を聞く企業、全然関係ないけどスポーツも面白いなと思ってふらっと受けた企業など、
自分に馬鹿正直に社会見学のつもりで受けた。
だけど、業界が違えど、自分が生涯を通じて解決したいことや興味がある事柄の話は共通なので、自分の中ではそんなに話す内容やコアコンピタンスが変わることはなかった。
就活の時に、一番つらかったことは「東京一極集中」だった。
今はコロナを経てテレワークや地方復権が進んできたが、当時は「東京を目指さないって後ろ向きだよね」と面接官に3回は言われた。本当に言われた。
本当に腹が立って、ドンピシャ企業以外を選ぶときは「いかに地方をバカにしないか」は必ず考えるようになった。
面接の練習がてら、就活イベントにも何度か参加した際、就活生しか知らない企業に多数出会い、そのうちの一社は同じ担当者と3回連続会ってしまい、なんとなく回避できずに面接を受けた。これがのちに入社する会社だった。
事業自体は面白かったし、なにより地方に根差している企業だった。
4月に内定を貰ってからは、ドンピシャの2社のみ受けるため、それ以外のすべり止め候補はすべてお断りした。
先ほどURLを貼った企業は2次面接で落ちた。
自分でもわかるくらい、感情的に正直に話してしまい、ああ落ちたなと分かった。
でも、この企業に出会って、自分にとって何が大事か分かった。ひっそり応援し続けたい会社。
ドンピシャ2社のうち、もう1社は、1000人規模の会社だが関西拠点は3名ほどしかいないことがわかり、ほぼ東京から出られないことが判明して、何度も何度もいろんな人に相談して最終面接の前に辞退した。
こうして、新卒で入社する会社に確定し、内定承諾をした。
③内定後~入社前
内定後は8月に東京で内定者懇親会が行われ、のちに親友となる同期と出会う。
オフライン就活しかなかったので、当たり前に東京に行って交通費をもらって経費精算した。
9月、10月、11月、12月は毎月内定者研修があった。
今となっては「お金出せよ笑。学生の本分を邪魔するな」って思うけど、
当時は「何もわからない状態で入るよりいいかも。
会社としてもお金や人材をつぎこんですごいな」と思っていた。
この期間は卒業論文が佳境を迎えており、それどころではない中でなんとか課題を覚え、月に1回の試験に臨んでいた。
そして2月、3月から情勢ががらっとかわり、不安を抱えながら卒業を迎えた。
入社3日前まで「入社日以降の計画を修正中なのでお待ちください」という連絡が定期的に入り、
2日前に「在宅で行うのでPCが送られます」という連絡が入った。
いよいよ入社して、このあとそれはそれは沢山の違和感と対峙し、戦い続けることになる。笑
初回はこんな感じで終了~
続く。
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