社会人3年目で転職した話④~新卒1年目1月-3月~
こんにちは。お盆休みを明日に控えてルンルンです。
休憩時間にさらっと書いちゃおう。
あ、全然違う話なんですけど、最近YouTubeでおすすめされた「進撃のノア」ちゃんの動画が面白いし、何より営業職の極みだから見ていてすごく勉強になります。
キャバ嬢の方々、本当に人格も素敵。ぜひ見てみてください笑
------------------------
入社1年目1月 ~仕事ができなくなった2週間~
前回の話で、私が新規開拓営業・テレアポ営業をしていることは知っていただけたかと思います。
まだの方はちらっと見てください。
経験された方には言わずもがなかと思いますが、テレアポって心をすり減らす仕事なんですよね。。
受信も大変だし、発信も大変です。
しかも私の性格的にプッシュ型営業が合わず、テレアポも例にもれずあっていなかった。
しかし、やらないと始まらない。
テレアポをやらないという選択肢がない。
そんな環境だった。
年末年始の休みが明け、また電話をかけまくる仕事が始まった。
休みの前後の電話って、すごーくすごーく憂鬱なもので。
自分自身のコンディションというよりも、かける先の企業がドタバタしていたり、そもそも仕事始めの時期がばらばらだったり、
何かと理由をつけて断られやすい時期だから。
それも理由の一つになり、私は年明けから急に電話がかけられなくなった。
正確には、かけると決めた時間に電話は握っているけど、1コールまでの助走が急激に長くなってしまった。
1日100コール、無心で淡々とかけられていた私が、
がんばってがんばって1日30コール。
「この時間なにしていたの?」と聞かれても「電話業務してました。してたはずなのに全然かけられない」という状況だった。
新年あけても上司はかわらず男前な女性の方だったので、
私のこれまでの仕事ぶりも知っていて、シンプルに驚いていた。
私自身もちょっとしたスランプだと思っていたから
1週間は上司も様子を見てくれていた。
だが、一向に戻らない。
かけられない罪悪感で涙が止まらず、涙声では電話できないので全く進まないという負の連鎖だった。
ただ、本当にたまたま運が良かったことに、
営業部隊で休眠顧客の掘り起こしチームが結成され、
上司が私を推薦してくれた。
休眠顧客なのでメールもあるし、完全なる新規のテレアポではないことから
リハビリできる環境を用意してくれた。
この期間に、DMの技術を学んでこれは私の武器になった。
これにより、なんとか新規の営業部隊に残れることになった。
ちょっとずつ個人的な要因を解決していたところ、今度は別の問題が発生していた。
前回の話で、私の大事な先輩に引き止めの電話をした人を思い出していただきたい。
(退職時に22~26時で毎日電話かけてきた人)
この人は社内の人間関係を拗らせがちではあるが、営業手法やスタイルは人格的で、私自身はあこがれていた。
血の気が少なめの営業で、淡々としているけれど決め所は押さえる。
お客さんの納得を引き出して、お客さんが「やるよ」って自分でいう場面をいつのまにか引き出している。
あと、1年目の私たちに対しても敬語。
すごく人間性ができている人だった。
わかりやすくKさんと表記します。
前置きが長くなったが、Kさんが女性上司の上(=事業部責任者クラス)にいて、私は直属のチームになっていた。
Kさんは社外向けの仕事はいろいろとできるんだけど、
とにかくレスができない人だった。
LINEを使っていたが、既読無視しかしない。
30分おきに予定が入っていて、本当に多忙。
1週間前からカレンダーで予定をおさえ、
おさえた日、その週の初め、当日の朝、10分前にリマインドしてもすっぽかされる。
(当時悩みすぎて、メンターぽい人に「どうやったらKさんの予定っておさえられるんですかー-涙」と泣きついたことがある)
どうしても絶対に話さないといけない案件については
土曜の朝に時間を頂いたこともある。
とにかくKさん直下で、「予定が読めない」人に対するストレスがフルに積もっていた1か月を過ごしていた。
入社1年目2月~3月 ~私も変わるけど会社も変わる~
これ、先に説明したいんですけど、当たり前だけど多分忘れがちなことだと思う。
特にこの会社は変化が大きい環境だったけど、どの会社、どの環境でも絶対に変化がある。
だから「転職は悪」という風潮は恐ろしすぎるな、と当時から思っていた。
だって、入社前にその会社のことを予想できないだけでなく、
見誤らなかったとしても、会社そのものが急に方針転換したりする。
文字にしたら当たり前すぎるんだけど、実態としてきちんと理解したうえで
人の話を聞いたりアドバイスをしたりする大人になろうと思った。
だから最近よく言う。
「入社したことはまったく後悔してないし、
何回同じ場面になってもこの会社を新卒入社で選んだと思うよ。
だけど今転職したのは、
会社も変わったし私が大事にしたいものも変わったから。」
で、本題に戻るんだけど
社会人1年目がもうすぐ終わろうとする2月、会社の方針がガラッと変わった。
ある日突然全社会議の日程が1週間まるまる組まれて、
毎日大々的な発表がされた。
その中でも一番大きな変化が「任意のカンパニー制度」だった。
カンパニー制度については下記を参照ください。
端的に言うとこう。
よく世の中で言われる「上司ガチャ」「部下ガチャ」をなくしましょう
という点と、
各組織がいち企業のように採算も組まれるので、より経営者に近い考え方をみんな持つようになるだろうという意図だった。
また発足当時は、いわゆる「意識高い系」(若いうちにガンガン働いて年収1000万目指すぜうぇい!)みたいなカンパニーだけ誕生して、
そこに入りたい人は入ろう、逆に思想が合わない人は従来の組織のままでいいよ、というニュアンスだった。
私は入りたい組織もなかったし、それに見合った状況でもなかったから
入らなかった。
その選択は至極まっとうなものだということは、理解してもらえると思う。
ただ、その発表があった土曜日のお昼、上司のKさんから電話がかかってきた。
いやもうまじかよと思って、電話に出た。
私「お疲れ様です。」
K 「ごめんね休みの日に。今大丈夫?」
私「(まじでほんまにそうやで)あ、大丈夫です。何でしょうか」
K 「いや、この前制度発表があったじゃん。○○さん(私)はどこにしたの?」
私「私は入りたいと思えるところがなかったので、従来の組織の予定です」
K 「いや、そうだよね。申請なかったからそうかなと思ってたんだけど。
実はさ、○○さんの上司(=女性の男前上司)、
違うカンパニーに移ることになって、
俺も動くから従来組織が機能しなくなることが決まったんだよね」
私「・・・・??????あ、そうなんですね。
まあでも制度上、個々に選択できる制度だから
状況としては理解しました。」
K「それでさ、うちの事業部は従来の組織に残る人が3人くらいで、
全員若手だから実質組織として回らなくなったんだよね」
私「はあ」
K「○○さんもそんなに頭悪くないと思うから察してると思うんだけど、
このままだと業績にも響くし、カンパニー選んでほしい」
あーあ。なーにが自己選択だよ。
なにが不利益発生しないだよ。
結局強制じゃん。
結局全員意識高い系入りましょうじゃん。
悟った。
しーんってなった。
一旦、「土日で考えて選択します」と伝えて電話は終えた。
つまり、会社としては、
会社の考えに合った人「のみ」残したい。
でもその人たちに「やめてください」とは言えないから、
自ら「離れます」といってもらうために
この制度を使ったのだということがよくわかった。
この会社のスピリッツの純度をあげていこうとしている、とでも言い換えられるだろうか。
仲がいい同期は合理的な人が多く
「会社の制度に振り回されているほうが嫌だから、とりあえず前の上司がいるところについていくわ」
「別にその方針に合うか合わないか考えんでもよくね?甘んじて受けてやるよ」
というスタンスの人間が多かった。
本当に器用な人たち。シンプルに尊敬する。
ただ、今回私はなぜかすごく受け入れがたかった。
もう嘘つくのしんどいなって思った。
でも、こんなわけのわからない制度に振り回されて、仕事を手放すなんてことは滑稽だと思った。
次の月曜日に、上司のKさんには「やっぱり決めきれなくて、考えます」と保留を伝えた。
そして運がよく、「意識高い系ではないけれど、自分の責務に対しては真摯に向き合ってやっていく」という組織が複数誕生した。
まったく知り合いもいないし、同じ拠点の人間も誰一人いない組織に入った。
もうシンプルに働きたい、と思った。
実際、その組織の上司(ゴリラさんと呼びます)はとてもいい人で
あったことはないけど毎日3回は電話して相談していた。
縁もゆかりもなかったゴリラさんが拾ってくれたおかげで、
なんとか精神的に安定し、電話も掛けられるようになった。
絶対に恩返ししようと思えた。
この2か月は毎日泣いていたし、
土日も人と会えないくらい疲弊していた。
人と会うと、絶対愚痴を言ってしまって不快にさせるのがわかっていたから。
だから絶対的信頼がおける数人としか会っていなかった。
でも、会社と自分の適切な距離感もわかったし、
安泰な環境なんてないということがよくわかった期間だった。
自分を安定させてあげられるのは自分しかいないし、
他者や環境に依存しても何の意味もない。
自立が一番シンプルだと思った。
この学びを1年目で経験できたことは非常によかった。
今日はこの辺で!長くなっちゃった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?