”ちょっとした勇気の積み重ね”

私が普段使っているPCには,一枚小さな付箋が貼られている.
そこにはたった一言.”ちょっとした勇気の積み重ね”とだけ.

この言葉はどこからか引用したものなのか,はたまた自身で思いついて書き残したものなのかは分からない.気づいたときにはそう書かれた付箋が存在し,なんとなく捨てられないままPCに貼られたままになっていたのだ.

”ちょっとした勇気”
私からは,随分とかけ離れた言葉である.何故ならひたすらに”現状維持”を望み続けたからだ.ファミレスに入れば食べ慣れたドリアを選ぶし,少し休みたくなったら全国展開しているカフェを選ぶ.散歩しようものなら前にも通ったところを選ぶし,ちょっと一人旅をと思えば真っ先に行くのは京都である.人間関係でも,今が心地良いからそれ以上に踏み込みはしない.知識や技術においても,現時点でどうにかはなっているからそれ以上学ぼうとはしない.

楽な方に.無難な方に.
気づいたら選択をしなくなり,”勇気”の芽は完全に摘まれていた.

しかしここ最近,”変化”という抗えないかつ逃げられない壁に直面し続けるようになった.それは仕事のことであったり,人間関係であったり,健康のことであったり.昔は”成長”という言葉に置き換えられるようなポジティブなことが多かったかもしれない.けれど,今の年齢かつこのご時世が掛け合わさると,”変化”はなんとも形容詞し難い複雑なものとなる.

そんな状態になってやっと,どうしようと真剣に考え始めるのが私である.しかし,如何せん今まで選択をサボり続けてきたのだ.何をどうしていいのか分からず,完全にお手上げ状態なのである.

変わらないとか普通とか,それはただの幻想でしかない.そう見えていたものも,少しずつの変化を伴ってたいただろうし,影にはそれをカバーするような数々の選択があったのだと思う.手放しでそのままでいよう,あわよくばいい方向に向かうだろうなんてのは都合が良すぎる話なのだ.

ここからどうしていくか.すぐにトントン拍子には進まないだろう.
なんてったって今まで選ぶことを怠ってきたのだから.自分にとっての良し悪しの判断さえも危うい.でも少しずつ”勇気”の種を蒔いていくしかない.土壌が固くなってるからなかなか芽が出ないかもしれないし,慎重になりすぎて腐らせるかもしれない.それでも種を蒔き続けなければ,現状は下方へしか変化しない.とりあえず,少しずつ少しずつ.”ちょっとした勇気”を育てていくのだ.

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