人目に触れさせてこそ、という感覚
またしても『いのっちの手紙』より。
上記は坂口さんの言葉。そして、下記が斎藤先生の言葉。
すごくよく分かる話で、文章も、絵も、写真も、きっと音楽も、「公開前提で、依頼されたわけではないもの」を創るのは楽しい。そして、Twitterという簡単に発信できる場にアップするというのは「継続するためのテクニック」でもある。
このあたりが分からない人だと、誰かがなにか発信すると、承認欲求がどうのこうのと揶揄してしまう。
くだらない。
あまりの分かってなさに苦笑してしまう。
楽しいからやる。
文章を創ることも、絵を描くことも、写真を撮ったり、歌を歌ったりするのも、どれも変わらない。
内側にあるものを外に出す。
他の人の作品に影響されていたり、思いきりマネだったりするかもしれないが、それでもどこかに自分にしかできない「創る」部分がある。
100人いれば、100通りのものが出てくる。
それに対して「承認欲求うんぬん」と嗤う人たちはどうだ。
あまりに中身がない。
批評ですらない。
創造性が一つもない。
文章や絵や音楽を発信する人の承認欲求が高いんじゃない。それを「承認欲求が高い」だのたんだの揶揄する人の創造性が低すぎるのだ。
「あいつは承認欲求が高い」なんてことは、100人いたら100人ともが同じことを言える。そんな誰でも言えることを、ただ言っているだけ。嗤っているだけ。
そうやって誰かを指させば、内輪受けはするんだろうけど。
言われた相手は嫌な気持ちにもなるだろうけど。
ただそれだけ。
それって、おもしろいの?