人目に触れさせてこそ、という感覚

またしても『いのっちの手紙』より。

ツイッターで毎日作品をアップするのは承認欲求なんですかね。注目されるのは求めているかもしれません。でもその人たちと関わりたいわけではありません。継続するためのテクニックでもあります。ツイッターをしないで、黙々と作品をつくり続けるとい う生活は、まったく想像できません。そんなことをしたことがありません。誰にも見せずに作品を作り続ける生活を送ったことがありません。

上記は坂口さんの言葉。そして、下記が斎藤先生の言葉。

私は、最近になるまで依頼された文章しか書いたことがありませんでした。 コロナ禍になって「note」とかで自発的に書きはじめてみましたが、確かに公開を前提とした「依頼されない文章」を書くのは楽しいですね。アイディアも沢山出てきます。

すごくよく分かる話で、文章も、絵も、写真も、きっと音楽も、「公開前提で、依頼されたわけではないもの」を創るのは楽しい。そして、Twitterという簡単に発信できる場にアップするというのは「継続するためのテクニック」でもある。

このあたりが分からない人だと、誰かがなにか発信すると、承認欲求がどうのこうのと揶揄してしまう。

くだらない。
あまりの分かってなさに苦笑してしまう。

楽しいからやる。
文章を創ることも、絵を描くことも、写真を撮ったり、歌を歌ったりするのも、どれも変わらない。
内側にあるものを外に出す。
他の人の作品に影響されていたり、思いきりマネだったりするかもしれないが、それでもどこかに自分にしかできない「創る」部分がある。
100人いれば、100通りのものが出てくる。

それに対して「承認欲求うんぬん」と嗤う人たちはどうだ。
あまりに中身がない。
批評ですらない。
創造性が一つもない。
文章や絵や音楽を発信する人の承認欲求が高いんじゃない。それを「承認欲求が高い」だのたんだの揶揄する人の創造性が低すぎるのだ。

「あいつは承認欲求が高い」なんてことは、100人いたら100人ともが同じことを言える。そんな誰でも言えることを、ただ言っているだけ。嗤っているだけ。
そうやって誰かを指させば、内輪受けはするんだろうけど。
言われた相手は嫌な気持ちにもなるだろうけど。
ただそれだけ。

それって、おもしろいの?

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