【過去記事から】「バッシング社会」を変えるには(13/05/07)
こんにちは。
思うところあって、過去に書いた2000件を超すブログやnote、読書メーター等の「棚卸し」をしています。10年前とは言え、今も考えざるを得ないことを指摘してたりしてるので、それらをちょこちょこ「再投稿」してみたいと思いました。どうぞよろしくお願いいたします。
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ある芸能人が、その親族に生活保護を受給させていたことを、「不正受給」だとする報道に端を発した生活保護バッシングや、教科書無償化の取り止めなどの在日バッシングなどを見るにつけ、日本は「バッシング社会」とでも言うべきものになってしまったなあとの思いを強く持っています。
ひと頃は、三浦和義事件に見られるように、報道の過剰として見受けられていたのですが、Twitter などで「一般市民」が簡単に意見を発信できるようになってからというもの、バッシングに加担する人々も増えてきているように思います。
どうにも、日本社会には妬み・嫉みが根深く浸透しているように思われるのです。長引いた不況、格差社会の到来が、その傾向を助長してきたのではないでしょうか。
「弱いもの」同士で足を引っ張り合い、出る杭を叩き合う。そんな光景が日々見受けられます。建設的批判ではなく、ためにする非難・論難がかくも日常的になってしまったのはここ数年の事のように思われるのです。
もっとも、「村八分」という言葉があるように、かつてはそうではなかったと言うつもりは毛頭ありません。ただ、ここまでくると、社会に亀裂が走り、相互信頼というセーフティ・ネットまでもがズタズタにされてしまうのではないかという思いを持たざるを得なくなってしまうのです。
一朝一夕の解決策はないと思います。しかし、何か手を打たなくてはいけない。相互不信を、信頼に変えていかなくてはならない。そう考えます。想像力の欠如を指摘し、嘆いているばかりではならないと思います。
今言えるのは、絶望してはならない、希望を紡がなければならないということです。処方箋を書くには、もう少し(ではなく、たくさん)時間をいただかなければならないようです。今回は、指摘するに留めておきたいと思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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【22/08/24】
約10年前の投稿ですが、状況はよくなるどころか、悪くなってさえいるように思われます。相互不信から、包摂を経て相互信頼へ。信頼醸成社会を築いていくための一歩を踏み出そうとすべきだと言明するのも、また「思想」の役割なのではないでしょうか。
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