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コミュニティより、ソサエティーの再生を

  こんにちは。

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 近年、ネット上でも「新しいコミュニティの創設を」「コミュニティの機能の再生を」という意見を、ちらほら見かけるようだと考えています。

 それに対して、ぼくはむしろ、「ソサエティー」の再建を目指すべきだと考えているということを、少しご説明したいと思っています。

 その考えを後押ししてくれたのが、鴻上尚史さんの上掲の本です。この本の中ででは、
・中途半端に壊れつつある「世間(=コミュニティ)」と、
・未だ「知らない人たち」との付き合い方を学びきれていない「社会(=ソサエティー)」
という2つの「社会的関係」を日本人は生きているということが指摘されています。

 この稿の目的は、本著の内容を紹介することではないので、これくらいにしておきます。

 もう一度書きますが、ぼくは、もう一度「コミュニティ」を再生させるよりかは、一旦は「ソサエティー」を復権させることの方が重要であると考えています。

 さまざまな研究が明らかにしているように、日本人の考えている「個」と、その発祥の地である欧米とのそれは、だいぶ違っていると聞きます。「出羽守」に陥りたくはないのですが、まず一定水準までの「個」の確立が、今もって急務であると考えています。これが1点。

 もう1点は、ソサエティーはある種の「理念」をもって形成されるのではないかという点です。「理念」は「理想」でもあり、ぶっちゃけると「建前」ということです。また、「約束事」ということでもあると考えています。それらが機能してこそ、ソサエティーでの人間関係は保障され、安定化するのではなかろうかというのが、ぼくの考えです。つまりは、ホンネに先立って、理念・建前が優先される人々の集まりが「ソサエティー」であるということです。それは、社会契約説に近いものなのではないでしょうか。

 それならば、そういった建前や理念といったものの内実とはどんなものなのでしょうか。何のために約束事(=理念を立てる)ことを作って重視しているのでしょうか。ぼくはそれは、「自他共の幸福」なのではないかと、現時点では考えています。

 つまり、ソサエティーすなわち「社会」とは、人々が安定した幸福を目指すために仮構されているものなのだと思うのです。

 その大敵は何かというと、権力を持っている者が、それについての自覚をもっていないことや、ウソを平気で撒き散らすこと、「ホンネ」こそが大事だといって、身も蓋もないことを言い募るということだと考えています。

 わかりやすくまとめましょう。コミュニティーの再建とは、理念の価値を重視し、ウソをつかないということとしてまとめられるのだと思います。その意味で、現政権は非難されてしかるべきなのだと考えています。

 以上、駄文を書き連ねてまいりました。最後までお読みくださったことに感謝申し上げます。ではまた!


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