【読書会】宮本輝『流転の海』全巻読書会・番外編~NHK「知るを楽しむ」から
こんにちは。
本日(10月3日)のオンライン読書会では、急な変更ではありますが、宮本輝さんへのインタビューを中心に構成されているNHK「知るを楽しむ」2008年1月度の放送テキストについてご案内いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。変更については、重ねてお詫び申し上げます。
NHK「知るを楽しむ」
2005年4月4日~2010年3月25日にNHK教育テレビで放送されていたシリーズで、曜日毎にテーマが設定されていた。
・月:探究この世界
・火:歴史は眠らない
・水:こだわり人物伝
・木:仕事学のすすめ
等。
2008年1月 宮本輝 流転の歳月
テキストは2か月毎に発刊されていた様子で、手元には2007年12月の宮城まり子さん、2008年1月の宮本輝さんのものが現存。以下に目次を掲げます。第1回から第4回の聞き手と文は、中村宏覚さん。
書けない時には書く
「目指してきたものが、余分なものをできるだけ削ぎ落とした小説」
「文字というものは一文字ずつ書いていくしかありません(略)でも、それが千枚に達する時が来る。日々の仕事を積み重ねていくうちに必ずその時が来ることを、最近、ようやく信じられるようになりました」
「書けない時には書く、仕事をしたくない時には仕事をする。勉強したくない時には勉強する。無理やりそうすることで、自分をそのリズムに乗せていく」
第1回)押入れの中の青春
『泥の河』の時代
「扱われ方が”お坊ちゃま的”だったんですよ」
「舟で暮らす人たちが町から言えたのは、(略)義務教育制度が徹底され(略)住所を持たないと学校に入学できない(略)しかたなく彼らは陸に上がるようになったんです」
「結局はなにもかもを投げ出すはめに陥ってしまったんです」
「運が悪かった(略)親父の性格にも原因があった(略)せっかく上がりかけた階段を下りて、別の階段を上ろうと考えてしまう」
母子二人の富山での暮らし
「まだまだ地方には、それだけの経済的な余裕がない(略)親父は単身大阪に戻って(略)僕と母だけが富山に残されることになったんです」
実際は腕白少年だった!?
「北陸独特の湿気が多い気候が体質に合わなかったようで、母がひどい喘息に罹ってしまったんです(略)急遽大阪に戻ることになったんです」
「トンネル長屋」の人々
「ワケアリの連中(略)貧しいがゆえに生じる人間の営み」
母の自殺未遂
「女癖の悪さ(略)母は酒に逃げ場(略)やがてはアルコール中毒」
「僕は『母に捨てられた』と考えたんでしょうね」
小説の中に逃げ込んだ日々
「小説っていうのはなんて素晴らしいものなんだと改めて思った」
「人間みんな通俗ですよ。通俗でない人間がいるならば一度会ってみたい」
第2回)俺は生きていられるのか
テニスに明け暮れた大学時代
「『どうにかなるだろう』と能天気に考えていたんですよ(略)新設されたばかりの追手門学院大学だったんです(略)珍しく学生運動に走るやつもいない」
「なにしろ僕らが初めての学生ですからね。自分たちがこれから大学を、部活動を一からつくっていくんだ、という情熱のようなものがみんなの中にあったような気がします」
「僕には作家として唯一足りないのは女性との恋愛経験(略)ほとんどの女性は、頭の中で勝手に創作したものなんです」
最愛の父の死
「母が自殺未遂をしてから、親父は以前にもまして家には寄りつかなくなっていたんです」
「大学三年の時、脳梗塞で突然倒れたんです」
「いったい親父はいつ、こんなレールに乗ることになってしまったのだろう?(略)何故こんな場所で、こんな死に方をしなければならなかったのだと不思議に思いましたね」
「人にはいろんな死に方があるのは分かっていた。でも人の運命について『なぜ?』というふうに考えたのは、それが初めてだった。人生には、もしかすると大きな原因と結果があるのかもしれない」
不安神経症という心の病
「たまたま文芸誌を立ち読みしたのがすべての始まりでした(略)それを一読してあまりのつまらなさにびっくりしたんですよ(略)自分が読んできた小説の面白さとはまったく次元が違う(略)いや俺が書いたほうが一〇〇倍面白いもんができるはずや」
人生を変えた出会い
「若い作家を育てようとしている人がいるから(略)池上義一さんは(略)あなたは書ける人だ(略)ここから書き出せるようになったら、君は本当の天才になれる」
「そやけど俺の言うてることが分からへんかったら、君の持っている才能は開くことはないやろうな」
芥川賞への戦略
『泥の河』『蛍川』『幻の光』
「人生には不思議な出会いがあるものだと、いまでも粛然とした思いにひたってしまいます」
天が与えた休息期間?
「病気になる前よりも百倍丈夫な体になるぞと決めてね」
「何がどうなろうと、たいしたことありゃせん」
第3回)父との約束
軽井沢での出来事
「父の生前はさんざん苦労し、やっと厄介な亭主から解放されたと思ったたら、息子が神経症で会社を辞めて、おまけに小説家になるなんて寝言を言いだして・・・。それがうまくいったと思ったら、今度は肺結核になって。やっとのんびりできるかと思ったらいきなり自分が癌になったわけでしょ。それって不公平すぎますよね」
不安神経症からの脱却
「当時は今のように『心の病』というソフトな言葉もなかったし、『心療内科』なんてものもありませんでしたからね」
「『この病気で死んだ人はいないし、気が狂った人も一人もいません。だから安心して発作が襲ってきたらこの薬を服みなさい』『この病気が宮本さんを小説家にしているんだから、病気が治ったら、宮本さんは小説が書けなくなるかもしれませんよ』(略)病気と折り合いをつけながら生きる自信が生まれてきたんです」
ライフワークとしての「流転の海」
「元気な時は仕事をしなきゃ勿体ない、人生は短いんだという思い(略)」
父を通して見た人間の宿命
「人に騙されたことによって人生を狂わされた(略)僕が敵をとるまでもなく、親父を裏切った人たちの多くはなぜか、その後は不幸な人生を送ることになったんです」
「人間の業だとか宿命だとか、人知の働きを超えた不思議な力が常に作用していたような気がするんですよ」
「人間の生命、あるいは僕を取り巻いていた様々な人たちの幸不幸、有為転変、そういうものがすべて含まれることになる」
母の思い出
「房江は、僕の母そのままですね」
父親の最後の大芝居
「『本当に期待して育てた。でも、お前には何もなかった。今まで期待されて、さぞかしお前も辛かったろう。本当に申し訳なかったな』と言ったんです」
第4回)五十を過ぎた情熱
阪神淡路大震災に遭遇
「ふと、綺麗なものに触れたくなった」
鳩摩羅什への憧れ
「震災をきっかけに、旅に出かけるなら今しかない、そして今度の度は、これまで自分がしたことがなかったような旅でなくれはならない(略)あの時、自分が死んだと考えれば、シルクロードの旅なんて、たいしたことないじゃないか」
「『私は五十歳を過ぎた人間の情熱しか信じない』という言葉を聞いて(略)」
いざ、シルクロードへ
「自分の血は、そう簡単には騒がなくなっていたし、少しずつ臆病になり、傲慢にもなってきていた」
待つことの意味
「待てるようになったのは、それを三十年間やり続けてきた功徳なのかもしれませんね」
運命の歯車
「努力だけではどうにもならないこともある(略)だけど人間の一生の中には、その全体の歯車が、カチャリとハマる時が必ず一度はあるんです」
「とにかく不思議なことが世の中にはある(略)それはたぶん『まっとうに生きてきたから』だと思うんです(略)僕なりにまっとうに生きてきたという自信はあるんです」
「あんな立派は顔になれたら父のことして生まれた甲斐があります」
閉会後の追記(10月4日)
熱が入り過ぎて、2時間近くもしゃべってしまいました。
『流転の海』シリーズが、宮本父子をベースとした「サーガ」であることを強く感じた。『スター・ウォーズ』みたい(笑)。
よくも悪くも、「フィクション」や「嘘」が書けない人なんだということがわかった、等々のお話しをうかがいました。長時間ありがとうございました。
* * *
今回の記載は以上といたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。お疲れさまでした。それではまた!