【100分de名著を語ろう】いのちの初夜④(23/03/02)
こんにちは。
今回でいよいよ『いのちの初夜』についての回が完結いたします。放送をご覧になった方、なってない方、いずれでもclubhouseのルームにご参加くださいますとうれしいです。23/03/02(木)21時開始です。お待ち申し上げております。
第4回放送分の副題は「絶望の底にある希望」。放送では、テキストには収められていない感動的なエピソードも織り込まれていました(一方で、放送されていないテキストの内容もありました)。NHKプラス等でご覧いただけるうちに見ておくとよいかもしれません。以下は、テキストの内容に沿って進めてまいります。
①川端康成との往復書簡
(川端康成と)交わされた手紙は、実に九十通にも及びます。
北條という人間に、むしろ川端の方がだんだんと惹きつけられていく様子が見えてくるのです。
②芥川賞を獲らせなかった理由
文壇のことなど気にしないで、月々の雑誌など読まないで、古今東西の名篇大作に親しみ、そこの生活とあなた自身から真実を見る一方になさい。
体も悪いことゆえ、ほんとうに書きたいものだけを、書く習慣を守りなさい。そしたら、あなたは文学にとっても、同病者にとっても、尊い存在になりますよ。
③「ハンセン病文学」というレッテル
「それしか書けない」と思われることには大いに抵抗があった(略)。
ハンセン病であることが、作家としてのアイデンティティになっていた。しかし、書けば書くほど、これが足かせになっていったところもあったのでしょう。
④北條民雄と「危機」
※この「危機」というのは、「らい(←変換できませんでした)院受胎」として発表された小編の原題だった(引用者注)。
北條の眼には、自分の身の回りにいる同病者たちすらも、ある種の「危機」として映っていました。
私の眼には二千年のらい者の苦痛が映っている。
内側と外側からの絶え間ない危機にさらされながら、それでも書き継いでいくということが、作家・北條にとっての「生きる」ことだったのです。
⑤病を得たがゆえになしえた成熟
こんな小さな体で、あんな大きなお空が、どうして見えるのでしょう。わたしは、もうそのことだけでも、誰よりも幸福なのです(『すみれ』より)。
彼がどこかでハンセン病を受け入れて、前向きに生きていくという心境に達していた一つの証左のように思います。
誤解を恐れずに言えば、北條は北條のいのちの長さに合わせて、作家として人間として、輝きを放ち、生ききったのだと思うのです。
⑥北條が見つけた希望
絶望の本当の底の底に到達した時、人は、そこから浮かび上がるしかない。
人間は、自分のことだけを考えては生きられないということに、あらためて気づかされました。
⑦追記
※3月3日(金)以降に追記される場合があります。
今回の「レジュメ」は以上といたします。テキスト「のみ」、放送「のみ」の部分があり、相互に補完・照射する構成となっていたと思いますが、それらについては、23/03/02の回で話し合うことといたしたいと存じます。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。ときどき課金設定をしていることがあります。ご検討ください。もし気に入っていただけたら、コメントやサポートをしていただけると喜びます。今後ともよろしくお願い申し上げます。