「楽しむ」と「愉しむ」。
こんにちは。
ぼくはこのnoteのゆる~い共通テーマを、「人生を愉しむスキル」としたいと考えているのでした。それは2月12日にも書いたことです。
で、今日は「楽しむ」と「愉しむ」の違い(のようなこと)についてです。参考にしたのはこちら。日本における漢字文化の到達点ともいえる大修館書店さんのサイトです。参考といっても、「コピペ」です。 ↓
あ。こんな風に表示されるのか・・・。それは置いて、一部引用しましょう。
つまり、もともと「楽しむ」の独占市場であったところに、「愉しむ」が入り込んできたらしいのです。その理由はよくはわかりませんが、「楽しむ」では自分の思いが表現できないと感じたとき、人は「愉しむ」を使うようになったのではないでしょうか。
「楽しい」と「愉しい」の使い分けについての質問に対する答えとして、記事が書かれていました。
う~ん。「質的な」違いってことかしら。
さて「愉しみ」ならぬ、「楽しみ」ということであれば、以前に読んだ『読書と社会科学』(内田義彦)での著述が記憶に残っています。記憶なんで曖昧です。今度調べて書きますので、お許しください。
1)読書(または読書会)は、「楽しい」ことを主眼とするべきである、
2)その「楽しい」という気持ちの意味内容を深めていく努力も必要である、
3)「楽しい」とは、その「生命」が妨げを排除しながらも育っていこうとする時の情念である。
あくまでも「大意」ですからねっ、引用じゃないからねっ。
とまあ、こんなところにも「人生を愉しむスキル」についてのヒントが見つかりそうです。
ぼくのやろうとしていることは、何も新奇なことではありません。うまくいっても「落ち穂拾い」ができればいいかも、といった感じです。既に言い尽くされてきていることばかりを書かせていただくはずです。
それは、自分の中に沈殿しているものを撹拌して、もう一度取り出してみようという試みかもしれません。自分の外にではなく、既に内に潜んでいて、光を当てられることを待っている言葉があるかもしれないと言ったら、言い過ぎかもしれませんね。
今日はここまで。