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戯れうたCOMPLEX(15)
2025年が明けて20日になろうとしているが、今日は年末年始にちなんで詠んだ歌を三首取り上げようと思う。
大そうじ途中で出てきたアルバムを食い入るように手を止め見てる
(2024/12/31)
年内に大そうじをしたのではないので、その意味ではフィクションなのだが、探し物や片づけ、あるいは引っ越しの作業などをしていて、ふいに家族のアルバムや卒業アルバムに目が止まることがある。すると、本来の作業を忘れてそのアルバムやら文集やらに見入ってしまう。人と話をしてみると、これは比較的によく経験されることのようだ。この短歌は、そんな作品だ。
出前下げ丼の下に隠れてた駄賃のコイン五〇〇円玉
(24/12/30)
私の両親は、かつて日本そば店を営んでいた。いろいろあって店はもう畳んでしまっているし、父ももう亡くなっている。お察しの通り、大みそかは一年でもっとも忙しい日である。私が家業を初めて手伝ったのは、中学二年の大みそかであったと記憶している。品物の出前をさせられたのが「デビュー」であった。年が明けて午前二時くらいだっただろうか、玄関口に出しておいてもらっている器を取りにいったときのことだ。重ねるために丼を持ち上げると、五〇〇円硬貨が置かれていた。それまでの出前は父の役割だったので、私がそのお宅にお届けにあがったのは初めてのことだった。それでお駄賃として置いてくれていたのだろうと思う。うれしかった。
初春の宴集いし朋友に白さ混じりて月日を思う
(25/01/03)
コロナ禍の数年を除き、私も新年の集まりに出かけている。そば店を営んでいた場所からは引っ越してしまっているので、その新年の集まりでは何年かぶりに会う人も少なくない。とはいえ、双方ともに年月を重ねてきて、体型が崩れ、ところどころに白いものが混じるようになっている。再会と無事を確認できたことを喜びあう一瞬は、離れていたことを乗り越え、忘れさせてくれる。それゆえ、年齢を重ねることも悪くはないなと思っている。
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