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【新企画】読書会は世界を変えていく②

こんにちは。

先の記事「読書会は世界を変えていく①」では、主としてオンラインでの読書会を始めてから、既に数年が経過していることをお話しいたしました。

この②からは、290回近くになる開催経験から得たことや、どんな思いや「隠しコマンド」があるのかについて、順次語っていこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

1)「文化」としての読書会ということ

ぼくはこのnoteを、「『読書会を文化に!』事務局」の活動の一環としても書いています。少なくともそのつもりです。読書会が「文化である」こと、あるいは、「文化としての読書会」とはどういうことなのかについて、改めて書いておこうと思います(今までにも書いていましたが)。

それはつまり、読書会が「ごく当たり前のもの」として、それぞれの生活の中にあったり、溶け込んでいることを想定し、目指しているということです。

ある高名なヴァイオリニストが、かつて「煙突掃除夫が一日の仕事を終えてから、弦楽四重奏曲を奏でるような」と語ったことがあると聞きます。これはつまり、階層や職業に関係なく、芸術を「日常的に」「生活の中で」楽しみ、親しんでいるような社会が好ましいと語ったものとぼくは思っています。そんな風に、本を読んだことについて、おいしかった料理をほめたたえるかのように語り合う。それが、自然に行われるようだといいなと思うのです。

もちろん、読書会が文化であるためには、読書もまた文化でないといけないのですが、それを述べるには、「教育」特に、制度としての教育についても述べる必要があります。力を蓄えてから改めて臨みたいと思っています。

2)社会を変えるテコとしての読書会

前項では、読書会が「当たり前」に生活の一部としてあるような世の中を目指したいと書いてみました。次いで本項では、その読書会とは、個人や仲間内の愉しみであることを超えて、やがては世の中を変えていける「力」を秘めているだろうことを書いてみようと思います。

ここでは、人は何を介して他人(または「他者」とか「世界」とか)とつながるのかについて考えることとします。人は、他の誰かと「つながる」とき、おそらくですが必ず何事かを媒介してつながっていると思います。思い切って、「交換して」と言ってもいいかもしれませんが、ここでは遠慮気味に「共有して」とだけ言っておきます。例えば、親子や恋人同士という役割関係を「共有」する、思い出を「共有」する、または「媒介」する。剥き出しの個々人のまま、他人とつながるのではなくて、「あいだ」に何かを介しているのではないかと思います。読書会とは、言うまでもなく、読書体験=ある本を読んだ意見や感想等を共有し、媒介している「つながり」です。そして、この「つながり」は、今までのそれと、どこか違っている感じがしているというのは、どうもぼくだけが感じていることではないようなのです。

つまりこうです。「読書について語ろうとすると、ふだんは語ることができないことでも語ることができる」。これは、他の参加者さんの口から出た言葉です。ぼくもこれには全く同意できます。歴史や社会、あるいは個人的な体験だって、「本を介して」であれば、意外なことが話せるようになる。これはつまり、つながりを媒介するものが変わったことで、つながりの「質」が変わったのではないかと考えています。おそらくは、「よい」方向に向けて。

ぼくはこの、つながりの「質」を変える作業としての読書会を、地道に続けていこうと考えています。それは、もしかすると、人と人とのつながりが、大きく変わる契機になるのかもしれないと考えます。実は歴史上のある時期、やはり人と人、あるいは「人と神」の関係性、つながりが大きく変わった時期があると聞きます。そのような大きな変化に、ぼくたちは立ち合いつつあるのかもしれませんね。


今回はこのくらいで終わろうと思います。また続きとして③を書きます。どうぞよろしくお願いいたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!








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しょうじ@マチナカ読書会
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