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【抜書き】読書からはじまる~5 共通の大切な記憶(長田弘)

こんにちは。4月16日(土)04:30です。今回のnoteでは、18日(月)にclubhouseで実施するオンライン読書会で取り上げるテキストからの抜書きをお送りします。テキストは、長田弘さんの『読書からはじまる』(ちくま文庫)からの「5 共通の大切な記憶」です。はじめに、全巻の目次を掲げておきます。

はじめに
1 本はもう一人の友人
2 読書のための椅子
3 言葉を結ぶもの
4 子どもの本のちから
5 共通の大切な記憶(←今回の抜書き対象)
6 今、求められること
7 読書する生き物
8 失いたくない言葉
あとがき
解説(池澤春菜)

なお、「解説」は池澤夏樹さんの娘さんが担当されています。以下の◯印で囲まれた数字は、本文中の「見出し」に連番を便宜的に付したものです。

①情報量はふえた、しかし

・情報というのは、その意味では、時間を占有するということです。情報は「私」の経験をたしてくれるものでもなければ、「私」の時間を足してくれるものでもありません。

・ゆとりのな時間のありようのなかにとりわけ見つけにくくなったのが、読書の時間です。

・本は読まなければならない。しかし読むのになくてはならないのは、時間です。

②読書は自分の時間の使い方

・本というのは、自分で、自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディアなのです。

・きちんと本とむきあおうとすれば、どうしたって自分の時間の使い方という問題に直接係わることになる。読書というのは自分の時間の使い方の問題なんだということは、たとえば子どもの本について考えるとよくわかるのです。

・絵本のような子どもの本から手わたされるのは、その絵本がもっている時間です(略)絵本を読むというのは、絵本のもつ時間の感触が自分のなかにのこってゆくという経験です。

・読書はただ、言葉を読むというのとは違う。絵本のような子どもの本の読み方に教えられるのは、読書というのは自分の時間の手に入れ方なのだ、ということです。

③共通の話がなくなっている

・共通の話がなくなっているのは、共通の時間を分かちもつという感覚が失せてきているということです。

・子どものときに経験が残すのは、理解ではありません。記憶です。

④共通の記憶が共通の言葉をつくる

・共通の言葉をつくるのは、共通の記憶です(略)共通の記憶のつくり方、共通の時間のつくり方というものに、とりわけ音楽はおおきな影響をあたえてきました。

・それが、ここにきて、突然共通の記憶の糸がぷつりと切れて、そのままになった。そうして「G線上のアリア」を知っている世代と知らない世代とに分断されてしまった。そんな気がします。

・記憶が今は、世代という横のつながりだけに閉じ込められてしまっているのです。

⑤記憶の贈り物と「自分の時間」

・共通の記憶の大事さが、いつのまにかすっぽかされるままになってしまっている。

・自分の時間というのは、わたしの考えでは、自分にとって非常に大切な記憶をとどめている、あるいはとどめられる時間が、自分の時間とよぶことのできる時間です。

・時間をどんどん費やして、みんなして時間をどんどんなくしてきた。時間をなくすことによって自分の時間をなくしてきた。自分の時間をなくすことは、自分にとって大切だと思う記憶をなくすことです。

⑥記憶の担い方の物語

・自分にとって大切な記憶とは何かを主題にしていること(略)書くというのは、そうしたなくした記憶をみずからたずねるという行為です。

・それが大切な記憶の担い方の物語であり、共通の大切な記憶のつくり方の物語であるということです。

・記憶というのは、人の、人としてのあり方を質すのが記憶だ、ということです。

⑦物語が差し出すのは

・人間を人間としてきちんと扱わないと、とんでもないひどいことが起こるんだ。

・ここで語られるのは、記憶というのは記憶の手わたし方なのだ、ということです。

・(略)伝えたいのは、経験のもつ重さです。経験のもつ意味は、その重さだからです。

⑧記憶を共有するためには

・それぞれの経験というのは孤立していますし、それぞれに個別的です。にもかかわらず、自分のしなかったこと、自分の知らない経験に対して、ひとは自分を開くことができます。

・人と人をつなげるだけの共通の時間が、どんどんもちにくくなってきています。人と人をつなげることのできる共通の経験も、もはや分けあえにくくなっています。

・だれもがみんな別々ですが、だれもがみんな別々というのは、多様性とは違います。

・おたがいのあいだでできない話がふえているという事態が、日常のいたるところに生じているのだと思えます。

・自分の体温をたもつように、ひとと人のあいだの共通の記憶をたもつことがもうできなくなっているのではないかという不充足感が、もう一方にあるのは、ゆたかになった世の中においてかえって貧しくなってしまうのが、じつは、おたがいをつなぐべき共通のもの、共通の価値観、共通の記憶であるということのためです。

⑨世界の見え方を左右するもの

・おたがいをつなぐべき共通のもの、共通の価値観、共通の記憶というものに係わってくるのが、子どもの本という本だからです。

・ですから、いちばん肝心なのは、子どもの本は目の前になければだめだということです。

・自分がもっているから、いつでもその本は世にあると思っている。しかし、実際には、もう目の前になくなっていることも少なくありません。

・本という文化は、しかし、本の私有、記憶の私有に終わる、そういうものではないのです(略)本をおたがいの共通の大切な記憶のありどころにできる、そういう本のあり方というのを絶えず考えてゆかなければ、あっという間に本は、わたしたちにとって何か特別なものなどではなくなってしまいます。

⑩記憶が人生の物語をつむぐ

・他の人と自分とがどのような記憶を分けあえるのかということだろうと思うのです。

・今日たずねられているのは、共有できる言葉のあり方だということです。おたがいに知らない者が共有できる、そのような言葉のあり方を大切にできなければ、だめなのだと思う。

・大事なのは「一緒の」記憶ではなく、「共通の」記憶をもつということ(略)わたしたちにとっての歴史というものをゆたかなものとなしうるかどうかということも、そこにどれだけ共通の大切な記憶があるかに深く係わっているでしょう。

・限りなく存在を薄切りにしてゆくのが情報だとすれば、可能なかぎり存在を厚くするのは記憶です。

・情報のちからは、それがぬきんでた情報であるということです。しかし、共通の大切な記憶をはぐくむのは、物語をつむぐ記憶のちからです。

⑪4月25日(月)予告

・次回4月25日(月)21時からは、続きの「6 今、求められること」に進みます。未入手・未読であってもご参加を歓迎いたしますので、ぜひご検討ください。

・なお、次回は試験的に、Twitterスペースでの開催をしてみたいと考えています。ご理解のほど、よろしくお願いいたします・

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今回のnoteは以上といたします。読書会のご参考になさってください。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!



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