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戯れうたCOMPLEX(13)
この一連のnote記事は、昨年六月から詠んでいる短歌の紹介をベースとしている。それらは既発表のものもあるが、再掲するにあたってはカテゴリーを分けたり、ソートのためにインデックスをつけてワークシートに転記している。つけたカテゴリー名は、①季節、②生活、③思い、④家族、⑤音楽の五種(順不同)で、詠んだ歌には「完全なフィクション」も一定数含まれている。六月から詠み始めている関係もあるため、「暑い」とか「涼しくなった」という歌が相当数ある。今回は「家族」を詠んだカテゴリーから紹介したい。
別れ際ついていねいなあいさつに他人行儀と弟の言い
(2024/07/31)
離れて暮らしている、といっても地下鉄で数駅なのだが、弟と会った後で思いついた歌。私は働いていたころの職業柄か、家族に対しても必要以上にていねいな接し方をしてしまう。この時にもうっかり別れ際に「お世話様です」とでも言ってしまったのだろうと思う。
一般的に言って、人とのつき合いにあって「敬語を手放すタイミング」の図り方は、かなり難易度の高い問題と思われる。相手あってのことなので、自分の考えと相手の考えが一致するならともかく、一致しないと「仰々しい」あるいは「馴れ馴れしい」という反応になってしまう。私が話す場合だと敬語がベースで、フランクな物言いはスパイス的に使うのが心地よく感じるようだ。これは、十中八九コールセンターでの業務経験に起因するものと考えている(なので、この文章が「だ・である」体で書かれているのは珍しいことなのだ)。
電車内向かいの窓に映り込む母の姿の小さきを見る
(2024/11/11)
母が民族音楽のコンサートに出かけるというので「引率」でおつき合いした。母の部屋からは、地下鉄で一回乗り換えが必要だったし、そもそもが初めて出かける先でもあったための付き添いだった。その地下鉄の車内で、席の向かいの窓に映り込んだ二人を見た時、加齢ももちろんあるのだろうが、小さく映じた母の姿に虚を衝かれてしまったのだ。
私を長男として四人の子がある母なのだが、ついに孫を抱かせることができないままになりそうなのだ。申し訳ないとまでは思わないものの、「ある種の感慨」めいたものが去来せずにはおれない。もう「いつまでも」とは言えなくなっているが、可能な限り健康でいてほしいと思う。
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