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【考察】「読書の杜」の呼称に込めたもの
こんにちは。
ぼくは、ネットの世界にあっては、①clubhouseでの2つの定期ルームの開催と、②noteとDiscordを中心としたサークル「読書の杜」の運営とを中心に活動しています。今回は、その「読書の杜」というサークルの呼称に込めたものについて書いてみようと思っています。ちなみに、英字での表記は forest reading club のつもりでいます。
ぼくは、人々が「読書」「本」を介して集うさまを、まず「森」としてイメージしました。「森」ではなくて「杜」を使ったことには、大した意味はありませんが、一人の人=一本の木が集い、連なって「森」となることをイメージしたんです。
なぜ「森」なのかというと、それは「多様性」の象徴であると感じ取っていたからです。森が育み、守っている多様性というイメージです。
もう一つ言うと、本は言葉の集まりです。いみじくも、「言葉」と書いたとき、そこには「葉」という文字が含まれます。一本の木には、たくさんの葉が生い茂っています。人=木は、ここでは「葉」の集まり、連なりとしてイメージされます。つまりは、人は言葉でできているということとつながってくるということです。
葉は落ちて腐葉土となり、木や森を育みます。吐かれた言葉が、人と人の連なりである「森」を育むのです。
育まれた森が、森の多様性を守り、育てます。そうして森は、山を守り、川を守り、海を守り、育んでいきます。つまりは、「生命(いのち)」を守り、育んでいくということです。
つまりはこういうことです。言葉こそが、森に象徴される多様性と生命とを守り、育むということです。そうした言葉を、ぼくは呼吸したいと考えています。あなたと樹々を育むことがご一緒できれば、ぼくはうれしく思います。
◆2022/04/26 関連note
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