【抜書き】読書からはじまる~4 子どもの本のちから(長田弘)
こんにちは。4月9日(土)22:06です。11日(月)21時から、clubhouseにて、オンライン読書会のルームを開きます。詩人の長田弘さん(故人)著の『読書からはじまる』(ちくま文庫)から、「4 子どもの本のちから」の章を扱います。今回は目次を再掲した上で、4章からの「抜書き」を掲げます。ご参加に際しての参考となれば幸いです。なお、◯で囲っている数字は、本文に付いている「小見出し」に連番を便宜的に振ったものです。
「目次」から
はじめに
1 本はもう一人の友人
2 読書のための椅子
3 言葉を結ぶもの
4 子どもの本のちから ← 4月11日(月)講読
5 共通の大切な記憶 ← 4月18日(月)講読予定
6 今、求められること
7 読書する生き物
8 失いたくない言葉
あとがき
解説
「4 子どもの本のちから」から
①子どもの本という本
・たかが本なのに、日常のなかの本のあり方ほど、ひとの日々の過ごし方をそのまま表してしまうようなものはありません。
・子どもの本がどんな本とも違うというのは、子どもの本というのは子どもたちの本であって同時に大人たちの本でもあるからです。
・だれもがたぶんまっさきに気づくのは、やがて子どもの本のスタンダードになってゆくような本が、自分が子どものときにはまだ出ていなかった、ということです。
②子どもの本を読むということ
・子どもの本は子どものときに読む本。そうとしか考えないでゆくと、子どもの本にそなわるアクチュアリティ、読むものに「働きかけてくるちから」を見落としてしまうばかりでなく、いつのまにか子どもたちの世界への生き生きとした関心をもたない大人の一人になっている自分に気づかなければならなくなります。
・実を言えば、大人にとって子どものほんほど、厄介な本はないのです。
・大人になって読んだ子どもの本に教えられるのは、子どもの本というのは、じつは大人こそ読むべき本にほかならない、ということです。
・ところが、現実は大人たちには、子どもの本の話をして通じるということがありません。
・そう考えると、子どもの本は子どものときに読むべきであるというのは正しいのかどうか、ということです。
③本は年齢で読むものではない
・年齢によって読み手をあらかじめ決めることは、むしろ読書のひそめるちからを削ぐことになりかねない
・本を読むというのが、新しいものの見方、感じ方、考え方の発見を誘われることでないなら、読書はただの情報にすぎなくなり、それぞれの胸のなかに消されないものとしてのこる何かをもたらすものとしての、読書の必要は失われます。
・閉じた読書のしかたではなく、何を読んでもいいが、心を自由にするために読む。そうして本というものを、おたがいを隔てるのでなく、おたがいが落ちあえるコモンプレイス・ブック(記憶帖)となりうるもののように、ひろびろと考えたいのです。
④「子どもの」という根づよいイメージ
・問題は、子どもたちが本を読まないということだけでなくて、大人たちが子どもの本を読まないことにもあります。
・あたかも大人というのは、もう本を読む必要のなくなった人であるかのようにふるまうことすらあります。
・今、大人たちが自分のうちに見失っている言葉があるだろうからです。
・子どもの本というのは、子どものための本なのではありません。大人になってゆくために必要な本のことだというのが、わたしの考えです。
・子どもたちに伝えるべき物語を理解するちからをもっともそなえているのは、だれより老人たちのはずです。
・けれども実際は、残念ながら子どもたちの周りにいるのは、近ごろの子どもは本を読まないと言いながら、自分もあまり本を読もうとしない大人たちなのです。
⑤心のなかの場所としての本
・子どもの本という概念をささえるものは何だろうか、ということです。子どもたちにとって子どもの本とは何だろうかというだけでなく、大人たちにとって子どもの本とは何だろうか、ということです。
・今のような時代に、それでも子どもたちに、本の未来、あるいは読書の未来を、大人たちはまだ手渡すことができるだろうか、ということです。
・大人たちがしなければならないことは、何も知らない子どもの本の世界に、自分がまず入り込むことです。
⑥子どもの本になくてはならない三つのもの
・一つは、「古くて歳とったもの」(略)二つめは、「小さいもの」です(略)三つめは、「大切なもの」です。
⑦大切なものは何かと問うちから
・子どもたちの本を大人たちが自分から読むことをしなければ、その三つのものの重要さに、大人たちがあらためて思いをとどかせる、そのような機会はなかなか生まれないでしょう。
・そうした大切なものは何かを問うていくちからが、そのために今日の大人たちのあいだには落ちているのではないか、ということです。
⑧子どもの本は本のあり方の一つ
・大人の本の世界の前段階にあるというのでなく、大人の本の世界とむきあっているもう一つの本の世界としての、それ自体が自立した世界をもつ、子どもの本という本のあり方です。
・逆に言えば、知らない言葉に対する新鮮な好奇心をうばってゆく危うさももっています。
・何事も段階的にということを前提に考えることは、何事も制限的にしかとらえることをしないということです。
・子どもの本のあり方といちばん傷つけてしまいやすいのは、何にもまして子どもっぽさを優先する、大人たちの子どもたちについての先入観だと、わたしは思っています。子どもっぽさというのは、大人が子どもに求める条件であり、子どもが自分に求めるのは、子どもっぽさではありません。
⑨まず読むことからはじめる
・子どもの本の考え方を変えたいのです。
・子どもたちが本を読まないと言う人ほど、子どもの本などめったに手にしたりしないのです。
・そうすると、大人たちが子どもの本を読もうとすれば、どこで、どのようにして読めばいいでしょうか。
・いいかどうかは自分で読んで決める。すなわち、読書の鉄則は、ただ一つです。最初に良書ありき、ではありません。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる、です。
・ただ、子どもの本の厄介なところは、どこでその本を読むかです。
⑩子どもの本と付きあう
・子どもの本と付きあうというのは、大人が子どもの真似をして、子どもっぽくすることでもなければ、子どもが大人の真似をして、大人っぽくすることでもありません。
・本が、本を読むものに求めているのは、本を読むってカッコいいなと思えるような本と付きあう姿勢を、日常にたもつということです。ただ読めばいいのではありません。本は上手に読まないと、うそみたいに何ものこらない。上手に読むというのは、読んでよかったと、自分で自分に言える経験をするということです。
* * *
今回の「抜書き」は以上となります。当日、闊達な意見や感想の交換ができるといいなと考えています。ご参加については、Twitterのアカウント @Showji_S までお問い合わせください。お待ちしております。それではまた!
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。ときどき課金設定をしていることがあります。ご検討ください。もし気に入っていただけたら、コメントやサポートをしていただけると喜びます。今後ともよろしくお願い申し上げます。