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戯れうたCOMPLEX(08)

私たちは二種類の「時間」を生きると言われている。主観的な「時間」であるクロノスと、均質で一方向向かって流れていき、時計で計れるカイロス(=「時刻」)であって、両方ともギリシア語に由来している。

近年では「コスパ」「タイパ」ということが喧伝されるが、この後者が「タイム・パフォーマンス」であって、時間を効率よく使うべきという考えが素地にあるのだろう。

脱ぐように外した時計空(から)になる時の呪縛を今放たれて
(2024/09/09)

ミヒャエル・エンデの『モモ』(1973年。大島かおり訳は1976年)は、時間を節約して貯蓄するのがよいと触れ回り、人々の時間を盗み取った灰色の男たち(=時間泥棒)に挑んだ少女モモの物語として広く読み継がれている傑作だ。この戦いとは、カイロスが支配している社会にあって、クロノスを守り復権させようとする戦いであると読むこともできる。

一日の仕事を終え、腕時計を外して充足した時間が訪れるとき、人は自分の時間、すなわち「クロノス」に立ち返るのではなかろうか。時間の「流れ方」は、実は可変的であるのだと考えている。客観的で絶対的なもの「だけ」ではない。好きなことに取り組んだり、よき思い出に浸っているときなど、自分(のため)の時間はゆっくりと流れ、ある場合には流れているのを忘れてしまうことさえある。大切なことは、人はカイロス「だけ」でもクロノス「だけ」でも生きてはゆけないということなのではないか。

われ一人歌を綴りて午前四時明けのしじまに七月の雨
(2024/07/01)

以前詠んだものである。早朝に起きてなのか、夜更かしをしたのかは忘れているが、歌を詠んでいてつい薄明るくなっているだろう時間になってしまった。気がつけば、雨が降っている。こうした時間を愛でることも、また大切なのだと思っている。


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しょうじ@マチナカ書房
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