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【杜のラボ】「本の星座、読書の杜」と改名します。
こんにちは。4月26日(火)16:55です。
いささか唐突ですが、5月1日(日)からアカウント名(Twitter、note、Discord、LINEオープンチャット等)を変更して、「本の星座、読書の杜」とすることにいたします。このnoteでは、名称変更に込めた狙い等について書いてみたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
今回の変更では、「本の星座」の部分が付け加わっています。付加した意図を中心に書こうと思っていますが、「読書の杜」の部分についても併せて書いてみます。
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読んだ本、あるいはこれから読もうと思っている本は、それぞれにつながりあっていると思います。何冊か本をお読みになっている方はおわかりいただけるのではないでしょうか。それは、ジャンルが近接しているからとか、同じ著者であるとか、同じ出版社やシリーズということではなくて、もう少し読み手の内面的な必然によるつながりです。つまり、個々の読み手の内面に即したものです。
読み手の個人史や、手に入れたり読んだりした順序、その時々の関心事、外的なニュース・時事等によって、同じ本であっても、その本の意味合いは、読み手によって異なっています。また、Aという本を読んだ後に手にしたBという本との間の連関は、同一の読み手であっても、20代に感じていたものと、40代になって感じるものとでは違うでしょう。それらを、仮に「布置」と呼ぶとすれば、本の布置は、星座に例えることもできるのではないかと思います。文明圏の違いによって、星の見え方の命名が異なっているように、個々の読み手における本の布置は違っているでしょう。大事なのは、そうした「本の布置」である満天の星座のもとで、ぼくたちは生きているのだろうという点です。そこから「本の星座」というフレーズを連想したのだと思います。
そして、ぼくたちは「本の星座」のもとで本を読んでいる=杜(あるいは森)を育てているのだということです。ここでは、一枚一枚の木の葉が、「言葉」に相当していると思ってください。木の葉が集まって樹となるように、言葉が集まって、本となり、「人」となります。
散った木の葉=言葉は、積もって腐葉土となり、樹=人を育みます。樹は森と育ち、山や川、そこに住む生命を守り、育みます。川は海へと注がれ雨を降らせるという循環が生まれます。「読書の杜」には、こうした「いのち」を守り、育み、循環させるというイメージを込めているつもりです。
満天の星座のもとで、本を読む=いのちを育む。そうした活動としての「本を読む」。それについて、聴き、語り書く。一連のイメージを「本の星座、読書の杜」から読み取っていただき、お仲間に加わってくださいますと、これに勝る喜びはありません。
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今回は以上といたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!
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