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番外編・トルコのメリークリスマス〜イスタンブールの交換留学〜

2014年の12月。私はトルコでクリスマスを過ごしていた。

大学に入った私は、大学2年の秋学期と大学3年の春学期を交換留学することになっていた。きっと英語圏に行くだろうと予想していた受験生の自分を裏切って、なぜか私はトルコに来ていた。

(ということで今回は、「留学アドベントカレンダー2021」に参加するための番外編記事として、トルコ留学のお話になります。)

トルコに来たのは「気まぐれ」

交換留学先をトルコにしたのは、偶然だった。

イギリスの大学に行こうと、TOEFLの対策、良いGPA(成績)の取得に大学最初の春学期をかけていた。イギリスに行って、舞台芸術の勉強をする。そのためには人気のプログラムの学内選考に残らないといけない。プログラムが要求する最低基準は満たさなくてはいけない。

そこでたまたまTOEFLのスピーキングのスコアだけ、2、3点、イギリスの交換留学プログラムに足りなかった。語学研修から始まるプログラムなら問題のないスコアで、加えてトータルのスコアは基準を満たしていた。

たった10ヶ月をどう過ごすか。どう有意義にするのか。足りない頭で考えた時、交換留学プログラムにこだわろうと考えた。

そこで目に入ったのがトルコの交換留学プログラムだった。アメリカのプログラムも、カナダのプログラムもあったのに、私が選んだのはトルコだった。

私が選んだのは「せっかくの10ヶ月、人と違うことをしてみよう」だった。

それがトルコに行った「気まぐれ」だ。

「イスラム教徒」と聞くと…

私がもうひとつトルコに興味を持ったのは、当時とっていた「イスラーム地域研究」の授業だった。

自分が縁遠いと考えていたイラン、湾岸諸国の事情を聞くうちに「私は中東について何も知らない」ことに気付かされた。

日本では、知らず知らずのうちに「イスラム教徒の女性がつけているヴェールは女性を抑圧している」「イスラム教の国は欧米が嫌い」などというイメージがあるように思う。「イスラム教徒と聞くと怖い」などという感情は「イスラム嫌悪(Islamphobia)」といわれているとその授業で知った。特にヨーロッパなどでは、イスラーム教の移民に対する差別や嫌悪感情などが高まっていた。

その言葉を聞いたときに、「ならば実際に中東を自分の目で見たらどう思うのだろう」と思った。

そんな風にどうしようもないプログラムの条件と、中東を見てみたいという興味が私をトルコに向かわせた。

イスラム教の国のクリスマス

トルコに来たもうひとつの理由は、中東の国、イスラム教の国の実際を目にしてみたいという憧れだった。

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私が留学したイスタンブールは長い間、帝国の都市となった街であり、キリスト教の聖堂からモスクへと変化した「アヤ・ソフィア大聖堂」に代表されるような様々な宗教の姿を色濃く残した国である。オスマントルコの時代には、キリスト教徒、ユダヤ教徒などの異教徒も、イスラム教徒も入り乱れる世界都市だった。

(そんなイスタンブールを紹介しているのがこの一冊。)

今のトルコは、「共和国」となる過程で、イスラム教徒が9割以上を占める国へと変化していった。(ギリシャのイスラム教徒とトルコのキリスト教徒の「住民交換」なんてことも行われた。)

お隣のヨーロッパの国々ではクリスマス休暇が当たり前だが、トルコはそんなの関係ない。トルコのクリスマスは大学の期末試験の日にすぎなかった。

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街中に出てショッピングモールの中にちょっとしたイルミネーションはあっても、東京のようにそこら中がクリスマス一色とはいかない。ちょっと拍子抜けしてしまう。(クリスマス商戦はある。)

トルコで大事な祝日は、ラマダン明けのŞeker Bayramı(砂糖祭)やKurban Bayramı(犠牲祭)というイスラム暦に沿った祝日だ。キリストはイスラム教の中でも重要な預言者の一人ではあるのだが、一人に過ぎない。

トルコは「世俗化されたイスラム教の国」と言われるが、やはりそのベースはイスラム教という日本人である私には馴染みのない文化だった。

ひとたびヨーロッパに行けば

イスタンブールでヨーロッパを身近に感じられるのは、1、2時間ほどのフライトで主要都市に行けることだ。

12月、私は初めてヨーロッパ旅行に出かけた。

そこで行ったのが、デンマークのコペンハーゲン、そしてオーストリアのウィーン、チェコのプラハだった。

特に12月の後半にいったオーストリアやチェコはクリスマスマーケットのシーズンだった。

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(プラハのクリスマスマーケット)

クリスマスマーケットの季節、夜になると、教会を中心とした広場には露店が出て、華やかにライトアップもされ、まさに「市場」のようなにぎやかさになる。大人はホットワインを飲み、子どもは甘いお菓子を食べている。家族皆で楽しんでいる場なのだ。寒く暗い冬の夜に光が瞬くような時間。

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(ウィーンのクリスマスマーケット。シェーンブルン宮殿の前。)

大学生だった私はチェコでスペインに留学していた日本人の友人に数ヶ月ぶりに再会して、「いつか家族で来てみたいよね」などとのんきなことを言っていた。私たちは、ホットワインを入れるマグをセーターで包みながら、荷物につめて、それぞれの国へ帰っていった。

わずか数時間のフライトで全く違う世界に辿り着く。めまいが起きるような体験だった。

日本人が思うより近いキリスト教とイスラム教の文化

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実は、トルコにはイエス・キリストや聖母マリアに関わるような遺跡などもある。コンスタンティノープル、つまり現代のイスタンブールは、ギリシャ正教の中心でもあった。

日本でニュースを見ていると、トルコとヨーロッパは遥か遠くの国のように思ってしまう。ヨーロッパ留学する人は多いが、トルコに行こうと思う人間は少ない。キリスト教の文化には無意識に触れているが、イスラム教の文化は知ろうとしなければ見ることもない。

だが、実際には、キリスト教とイスラム教は共有しているものもある。地理的な距離も、日本とヨーロッパよりかなり近い。その分摩擦も大きくなるからこその、「イスラーム嫌悪」なのだ。

そういう世界のバランスの悪さを身をもって知ったのが、交換留学の一年だった。

「気まぐれ」から始まった交換留学

私の交換留学は特に目的もなかった。ただ知らない世界を見てみたかった。それだけだった。

「10ヶ月間しかないのだから、行くだけでは意味がない」「勉強ばかりでなく、留学先では課外活動にも取り組むべき」「日本人とばかり話していてはいけない。現地の人と関わるべき」

今振り返れば、そんな高尚なことはできなかった。アジア人の女性として、トルコという国で生活することはそんな簡単ではなかったし、私はもっと幼かった。

それでも見える世界は変わる。私たちがそれを言葉にする力を持っているなら。

旅に出たことは確かに意味があったと思っている。と言ったところで、この本を紹介したことも思い出した。

留学される皆様、頑張ってください。私もまた頑張ろうと思っています。


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