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[3分短編小説]男として不能な僕とジェームズ・ボンド

あらすじ

33歳の僕は男としての性的魅力が下がっていくのを日々感じる。
尊敬するジェームズ・ボンドと自らの違いを認識していく様になる。
失っていく若さと男の魅力、積み上がっていく孤独に向き合った僕の取った行動とは...

男として不能な僕とジェームズ・ボンド

これは僕の記録だ。僕は33歳だ。早生まれなので来年34歳になる。僕に妻はいない。子供もいない。恋人もいない。あるのは仕事と1人の孤独で優雅な時間だけだ。
男に賞味期限はあるのだろうか?僕の答えはYESでありNOだ。昔は年をとっても格好良い男性になれると思っていたが最近は自分がダンディーになれるとは思わなくなってしまった。
女性に賞味期限はあるのだろうか?NOだろう。外見という意味では女性の魅力は加齢と共に衰えるが、「パートナーとなった女性とはその人と共に過ごしてきた時間が愛おしく積み重なるものだ」と父は言っていた。
父と母は学生結婚だった。父親の大学卒業と同時に結婚し母親はまだ大学生だった。2人は10年近く子供が出来なかった。しかし母は僕が1歳の時に31歳で急性白血病で死んでしまった。僕は少年時代は父と母の様に早く結婚するだろうと思っていたがこの歳まで独り身になってしまった。何よりも母が生きていた一生よりも長い時間を僕が生きている事に母の人生は勉強、結婚、出産、死と濃かったのだろうと悲しみと自覚を感じる。
話を僕の事に戻そう。僕の父親は再婚したが片親の僕は少しだけマセていた。
男の女性人気に外見が余り関係ないと知ったのは中学3年生の時だった。僕は当時高校受験に打ち込んでいて坊主に眼鏡の地味な見た目だったが、修学旅行で僕の事で女子たちが大喧嘩になって泣いたと聞いて女の子は男の見た目を男が思っているほど気にしていないのだなと驚いた。
高校に入ってからは小学生の頃の様に髪を伸ばしてコンタクトにした。男子校だったが彼女が居た為クラスメイトからはリア充(リアルが充実している人)扱いされていた。大学生の頃、カフェで勉強をしている時、ご婦人に「アイドルグループの嵐にいそうねぇ」と言われ僕の自己評価は中の上と言ったところだった。だが若さと美しさは永遠ではなかった。
最近、30歳を過ぎて女の子に相手にされる事がめっきり少なくなった。肌は10代20代の頃より染みが出来、中年太りで腹も出てきた。明らかに僕の男としての性的魅力は減退しているのだ。
今年の春、10歳以上年下の女の子から告白された。しかし僕は「友達からね」とやんわり断ってしまった。その女の子はもっと若い男の子と遊んだ方が良いと思ったのだ。僕は若かりし頃にも増して奥手になる自分を感じた。
自慢ではないが僕は未登録の公認会計士だ。何故こんな事を言ったかというと、通常僕の職業の場合80%以上が20代の間に結婚している。僕の様に1人残っている人は変人なのだ。つまり僕はかなりの変人だ。
僕はアイドルほど見た目は良くはないが引退した年老いた元アイドルの様に自分を見つめ直す事にした。僕に男としての若さと魅力はもう備わっていないのだ。鏡の前には少し腹の出た小さな身長165cm位しかない冴えない男が映っている。小さなおっさんなのだ。これが僕なのだ。
例えるのならば僕は60代、70代、80代の老人の男性と同じだ。実際には未だ30歳から50歳程度年齢差はあるがセックスアピールにおいてピークを過ぎたという意味では僕もシニア層も同じなのだ。

30歳を過ぎて性欲も減退した。そもそも長い事恋人もいないし、性交渉もしていないのだ。
僕は007のMI6のジェームズ・ボンドを目指す事にした。スパイになるという意味ではない。ダンディーな大人の男だ。しかし問題が発生する。僕は男らしくない中性的な見た目をしているのでダンディーになれる確信がないのだ。
そもそもジェームズ・ボンドは性的な意味では僕とは相反する対極的な所にある。彼は出会った女性と多くの場合性的関係を持ってしまうのだ。僕は何処かの王様の様に一夫多妻制を認めない。パートナーは1人いれば十分なのだ。だからこそ彼の不特定多数との性行為は僕の美学に反する。性的な意味でも一途であるべきなのだ。
僕にジェームズ・ボンドから学ぶべき事があるとすれば内面の美しさ、つまり強さ、優しさ、品性だ。これは34歳以降男の魅力が引き続き下がっていくとしても磨いていく価値がある人間的魅力だ。
そして僕は同時に自分の性的魅力を諦める事も重要だと思った。誰もが人気でありたいと願う。女性は男性から魅力的に映りたいと思うし男性は女性からモテたいと願う。しかし考えてみれば不特定多数とお付き合いする事は不可能である以上、女性も男性も愛せるパートナーは1人しかいないのだ。つまり異性から人気である必要はないのだ。たった1人のパートナーから愛されれば良い。そしてそのパートナーを大切に一生愛せば良い。
僕は考え方を変えた。僕の男としての価値は下がり続ける。もう若くはないのだ。だが僕は不特定多数から愛される必要はそもそも無い。見た目や演技で飯を食っている芸能人では無いのだ。80億分の1のたった1人から愛されるに値する男であれば良いのだ。
「自分の強さだけではなく、弱さも分かっている男が好き」と言っていた女性がいた。僕は失っていく男性としての魅力と自分自身を受け入れ自分の弱さも認識していけば良いのだ。
そして僕は空の様に自分を解き放つのが好きだ。自分が何者かとか、社会的立場とか自分を構成する要素を全て取っ払って空っぽになるのが好きなのだ。ふと自分に悩んだ時は、風を集めて、空の様になれば良い。
ジェームズ・ボンドが僕に教えてくれた事がもう一つある。「渋さ」だ。人間的重層性は加齢と共に厚くなる。その人の経験や人生がその人間を味わい深く濃縮し珈琲のエスプレッソの様に濃くするのだ。
つまり僕がこれから身につけるべきは「渋さ」だ。そして「渋さ」とは悲しみだ。喜びや成功からも人は多くの事を学ぶが、その人の深みを増す本当の人間的魅力を作るのはその人が経験して来た悲しみや失敗からだ。
僕は孤独や悲しみと深く向き合う必要がある。今までの人生で成功した事は若かった頃のぴちぴちの自分の様にもはや今は捨て去って、僕の積み重ねて来た失敗や絶望、悲しみと向き合う時が来たのだ。
喜びも悲しみも経験して来た男の目は真っ直ぐで澄んでいる。しかし僅かな慈悲を持っている。その眼差しはハードボイルドであり過去と未来を直視している。僕の目指すべき中年像は、それなのだ。

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