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写真小説家~英雄の肖像~

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■本編

 牧場の中は寂れていた。日曜日の、しかもこんなにも天気のいい昼間だというのに、家族連れの客がちらほら見えるだけで、閑散としていた。
 遊園地のような乗り物やバッティングセンター、乗馬体験など、かつての賑わいの残影を想起させるものが、そこかしこに残ってはいた。色あせた看板、閉店して物置になっているレストラン、打ち捨てられたゴーカート。
 私は売店で牧場のウリのソフトクリームを買うと、ベンチに腰掛けてまばらな人並を眺めながらそれを舐めた。濃厚でありながら甘さが控えめで、また春だというのにじんわりと汗が滲むほどに暑いので、食べていて清涼感があった。
 ソフトクリームを左手に持ち、メモ帳を膝の上に開いてペンを走らせた。
『牧場は静かだった。客が少ないからこそ、彼らは広々とした牧場内を、ゆったりとした時間を過ごしているように思えた。私はこの緩やかな時間の中に、かつての喧騒の影のような子どもが跳ね回っているのを見る。彼ら影は客の後ろについて歩き、客たちの耳に懐かしき賑わっていた頃の追憶を吹き込む。すると客たちは不思議とノスタルジーに駆られ、過ぎ去りし日々を偲ぶのである。』
 情景や場面を切り取り描写する「写真小説家」、その私の今度の依頼は、この牧場の景色と、ある人物の様子を切り取ることだった。
「どうです、ここのソフトクリームは。うまいでしょうが」
 中年の男がにこにこと親し気に言いながら私の隣に腰かけた。私はこの男の特徴を切り取ることにする。
『男は中年の域に差し掛かった年の頃といえど、よく陽に焼けている小麦色の肌には色つやがあり、白いシャツから剥き出しになった腕には隆起する筋肉が見える。顔だちもそり立つ岸壁のように頬骨が突き出て頬はこけ、目はナイフで切れ込みを入れたように細く、峻険な印象を与えるが、その細めた目の描く曲線は柔らかく、表情は柔和である。彼の人となりが、その顔にはすべて現れているようだ。』
 男は冴島です、と名乗って手を差し出した。私がペンを置いてその手を握ると、彼の手は濡れた岩のようにしっとりとして固かった。
「しかし、さすが写真小説家。仕事熱心ですね」
「いつでも仕事には全力を尽くします。そうでなければ、消えゆくものを見逃してしまうかもしれない」
 見逃せば、消えてしまう。だから私たち写真小説家には、目を瞑ることは許されない。どれだけ悲惨な目を背けたくなる光景であっても、私たちだけは最後まで目を見開いて見つめていなければならない。
「そうですね。それで、来ていただけたということは、仕事を受けていただけると理解してよろしいですか」
 私はええ、と頷く。「ウタテさんの紹介ですし、私自身とても興味があります」
 ウタテは前の、私の写真小説家初仕事で写真小説を書いた歌手だ。ライブに行けない難病患者の方に依頼されて請け負ったのだが、出来上がりは依頼人も納得して喜んでくれたのでほっと安心した。それ以上の収穫はウタテと出会ったことだろうか。彼女は私が興味をひかれそうな依頼をよく心得ていて、話を持ち込んでくるのだ。冴島さんもその一人だ。
「ウタテさん。あの方は不思議な方ですね」
 冴島さんは缶コーヒーのプルタブを引き開け、ぐいと傾け、喉を鳴らして飲む。飲み干すと、深く息を吐いて、腕で口元を拭って少年のように笑う。
「冴島さんはウタテさんとはどこで?」
「この牧場で、彼女たちと同じステージになったことがありまして。彼らがライブをやって、その後僕らのステージ」
 なるほど、と頷く。屋外で聴くウタテの歌はまた違った持ち味があっていいだろうなと思った。冴島さんも私の表情からそんな考えを見透かしたか、「いいもんでしたよ」とにこにこしながら付け加える。
「僕にとっては、ここのステージは生きがいそのものでした。まだ若かった頃はここも賑わっていてね。子どもの盛大な歓声が、僕らには何よりの報酬でした」
 冴島さんは懐かしむように目をさらに細めて空を見上げる。空には鳶が飛んでいた。
「僕らは本物じゃありません。でも、子どもたちは本物として接してくれる。その束の間、僕は本物になれたような気がするんです」
 私は冴島さんの言葉を一言一句逃さないように記録しながら、「本物なんじゃないでしょうか」と口を挟んだ。冴島さんはちょっと虚を突かれて「え」と言葉を漏らしてまじまじと私を見た。
「あなたが本物だと信じていれば、それは少なくともあなたにとっては本物です」
 ありがとう、と言って冴島さんは立ち上がった。目にはきらりと光るものがあった。
「最後の舞台を、写真小説に。お願いします」
 冴島さんは深々と頭を下げ、その場から去って行った。
 私は彼の舞台まで時間があるので、屋台で焼きそばとフランクフルトを買って食べ、牧場内をふらふらと歩き回った。乗馬体験をしている少女がいて、私は柵の外からそれを眺めていた。最初はおっかなびっくりだった彼女も、コースの半ばを過ぎる頃には慣れてきて、自信に満ちた笑みを湛えて馬に跨っていた。そんな彼女を微笑ましく見つめる私の元には、餌を持っていると勘違いされたのかアルパカの群れが寄ってきてしまって、少々狼狽した。場所を変えても追ってくるので、私は彼らを引き寄せる匂いか何かを発してしまっていたのだろうか。
 期待をもたせて何もない、というのもアルパカたちに申し訳なく、私は近くの自販機で餌を買って食べさせてやった。すると乗馬体験を終えた彼女が近づいてきて、「かわいい」と餌やりを見ていたので、「一緒にあげるかい」と誘って餌を分けてやった。二人で餌をやっていると両親がやってきて恐縮しきりだったので、かえって私の方こそ余計なことをしました、と詫びて、残りの餌を少女にやってその場を立ち去った。
 そろそろ時間だな、と思うと、自然とステージ前の広場にやってきていたのだから、仕事の習性とは不思議なものだ。
 私は最前列には誰も座るまい、と思ったから最前列に席を占め、ノートとペンを用意して開演を待った。
 時間が近づいてくると、客がちらほらと集まり始めた。日向になってしまっている前列席を避け、木陰になっている後列のテーブル席の方にみな座るようだった。今日の日差しでは無理もない、と思う。幼稚園生くらいの子どもたちが中心だったが、中には小学校高学年くらいの子もいたし、ステージなど分からない赤ん坊もいた。
『静かなざわめきが、その場を包んでいた。そこには密かな期待が見てとれた。だが不思議なものだ。ここに集まってきている人たちは冴島さんを見に来たのに、冴島さんのことを知っている人間など誰もいないのだ。それもそのはず。冴島さん自身ではなく、冴島さんが見せる虚像をこそ、彼らは見に来たのだから。』
 書いていると、わーっという歓声が子どもたちの間からうねりのように湧き起り、顔を上げると、蟹の手のような怪人が舞台袖から現れて、客席の子どもを攫おうと宣言すると、五色のスーツを身に纏った五人のヒーローたちが舞台に各々の登場の仕方でやってきた。
「怪人キャンサー。お前の思い通りにはさせないぞ」
 冴島さんの声だった。赤いスーツを着たリーダー格のレッド。そのスーツアクターが冴島さんだった。声は別撮りで、今喋っているわけではない。だから声と演技がずれないように舞台を進行しなければならない。予算が潤沢にあれば、と冴島さんは言っていた。別に声優を雇ったりもするんでしょうが、と。
『冴島さん演じるレッドは怪人キャンサーに向けて蹴りを放ち、キャンサーはそれを受け止めてレッドを振り回す。レッドは飛ばされながらも華麗に着地し、ブルーとイエローがキャンサーに挑むも蹴散らされるのを見て、ピンクと息を合わせて攻撃し、鋭いパンチがキャンサーの顔面を捉え、キャンサーがたまらず後退すると観客席からは拍手と歓声が巻き起こった。』
 その後、キャンサーとヒーローたちは客席の周囲にまで戦いの場を広げると、華麗なアクションを見せて戦いを繰り広げ、三十分に及ぶショーは、ヒーローたちの力を合わせた必殺の一撃で怪人キャンサーを打ち破るという形で終わりを迎えた。
 ショーの後の握手会と撮影会が終わった後、広場から去って行く人々に逆行するようにステージに向かい、よじ登るとそこから客席を見た。冴島さんが見ていた世界だ。私は目を瞑って、先ほどまでの歓声を思い起こしていた。
「いいもんでしょう。舞台というのも」
 振り返ると冴島さんが立っていた。私は頷いて、「お疲れさまでした」と買っておいた缶コーヒーを差し出した。
「ああ、こりゃあどうも」と恐縮しながら受け取る冴島さんに、私は労りの笑みを浮かべた。
「本当は、まだまだ現役でいたいんですよ」
 冴島さんは首からかけたタオルで顔の汗を拭いながら言った。
「でもね、体にガタがきちゃあね。息子も言うんです。『父さんはヒーローとしてみんなのために十分戦った。だから、今度は自分のために戦ってくれ』って」
 ガタ、と私は怪訝そうに首を傾げて訊ねた。
「体の中にね、いるんですよ。怪人キャンサーが。そう、つまり癌です。これ以上治療を先延ばしにすれば命の保証はできない、なんて医者からも脅されちまいましてね。息子も慌てたわけです。妻と別れてから、男手一つで育ててきましたが、グレずに親思いのいい子に育ってくれました」
 だから今日を最後と、と私は呟いて、だがしっかりと冴島さんの顔を心に留めようと顔を上げてじっと見つめた。
「ええ。それで、最後の自分の雄姿を記録しておきたくってねえ」
 そう言って冴島さんはへへっと鼻を擦って笑った。少年のような無邪気な笑顔の似合う人だ、と思った。
 私と冴島さんはそのままステージ上でとりとめのないことを話し続けた。日が暮れるまでずっと。写真小説家と、ヒーローとして。

〈続く〉

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