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泳ぐ鳥

 大学時代、暇さえあれば喫茶店に行っていた。
 彼女と僕とは腐れ縁というか、高校一年のときに同級生になって以来、大学の学科まで一緒だったのだから、まあ、奇妙な縁もあったものだな、と僕は考えていたが、彼女はどうだったのだろう。
 同級生だったが、席が近いわけでもなければ、特に親しくもなく、接点がなかった僕らだったが、親しくなったきっかけは、と誰かに訊かれたら、僕も彼女も声を揃えて、「秋の球技大会」と答えるだろう。
 僕は卓球とサッカーに出場していて、彼女はバスケットボールに出場していた。そこで試合中足をくじいて立てなかったところを助けたのだ。彼女が、僕を。
 僕はゴール前でシュートを打とうとして足を後ろに蹴り上げ、ボールに向かって振り下ろせばよかったのだが、横からスライディングを受けて軸足を削られ、バランスを崩しながら足を振り下ろしたので、盛大に空振りしながら倒れた。
 ボールは僕の足元から転がり出て、相手チームに奪われカウンターをかけられたのだが、僕は足の激痛でうまく走ることができず、でも大勢の女子が見ている中で空振り以上の恥の上塗りをするのは耐えがたく、助けを申し出た友人を断って、一人でコートを出て救護班の方に向かった。
 だが、途中で歩けないほど痛くなり、うずくまって泣きそうになっていた僕を、彼女は引っ張り上げて肩を貸し、救護所まで連れて行ってくれた。その間彼女は何も言わず、応急処置が終わった後も何も言わなかった。
 その日をきっかけにして、僕と彼女はすれちがったりすればあいさつをするようになり、世間話をするようになり、テスト前には一緒に図書室で勉強したり、と親しくなっていった。クラスメイトからは付き合っているんじゃないか、と邪推されたが、僕も彼女も平然と否定するので、その内誰も何も言わなくなった。
 喫茶店で彼女はいつも本を読んでいた。一杯のコーヒーと、一枚のチョコチップクッキー、そして一冊の文庫本。
 正直彼女の読む者はマニアックというか、難しすぎるので、タイトルや著者を聞いても僕にはちんぷんかんぷんだったから、本のことには特に触れなかった。
 彼女が本を読んでいる間、僕が何をしているかというと、彼女の端正な横顔を眺めながら、その横顔をスケッチブックに描いていた。
 いつも同じ席だった。イーゼルのような、単調な窓枠に曇りガラスがはまっていて、窓辺には小さな多肉植物の鉢植えがあって太陽の光を浴びていた。その鉢植えは、遠近法のせいで、彼女がちょっと傾げた頬を支えているかのように見えた。
 彼女は長い茶色がかった髪を一つ縛りにして左肩へと流し、髪は真紅のバレッタで留めていた。無機質なメタルフレームの眼鏡が鼻の頭にかかっていて、まつ毛は眼鏡のレンズに触れそうに瞬いていた。彼女のまばたきが早くなったりゆっくりになったりするのを見て、ああ、心を動かされるシーンなのだな、とか、集中力をかなり要する場面なんだな、とか推測した。
 彼女はいつも同じポーズで本を読んでいたけれど、僕のスケッチは一枚として同じものはなかった。眼鏡に垂れかかる前髪の形とか、口角の角度、着ている洋服――、夏ならラフなTシャツやノースリーブ、冬ならカーディガン、といったように。
 大学時代描いた彼女のスケッチは千枚は超えるだろう。その絵のすべては、僕の部屋にスケッチブックの山として残されている。
 彼女は一度だけ訊いたことがある。「わたしなんか描いていて楽しい?」と。
 僕は楽しい、とは答えなかった。楽しくてしていることではないからだ。僕は楽しい、と答える代わりに、「君の横顔は理想的なモデルだ」と答えた。
 彼女はちょっと驚いた顔をした後で、まんざらでもなさそうな顔をして、「そう」とだけ答えて、いつもと同じ、理想的な横顔を僕に向けた。
 毎日は矢のように過ぎて、卒業を間近に控えた冬の日のことだった。
 彼女は東京で劇場のスタッフに内定をもらっていた。劇場のスタッフといってもチケットのもぎりをしたりするのではなく、舞台監督などについて、舞台の制作の仕方などを学ぶ、クリエイティブな仕事だった。
 一方の僕は地元の市役所からようやく内定をもらい、一度実家に帰ることが決まっていた。
 二人で喫茶店に足を運ぶのも、もう何度もない、となったある日、彼女は僕に、「泳ぐ鳥」の絵を描いてほしいと頼んできた。
 魚ではなく、鳥。じゃあ、比喩的に「泳ぐ鳥」を描けばいいのか、例えば空を「泳ぐように」飛ぶ鳥を描くのかというとそうではなく、水の中を泳ぐ鳥を描いて欲しいと言うのだった。
 不可解な依頼ではあったが、僕は了承して、彼女が文庫本を読む横で彼女の横顔でなく、「泳ぐ鳥」の絵を描き始めた。
 スケッチブックの真ん中に、まず鳥を描いた。最初は水中を切って進むような、翼を折り畳んで頭を突き出したような構図を考えたのだが、それではあまりに「泳ぎ」すぎる、と思ったので、思い切って翼を大きく広げ、足の爪を開いて、今にも舞い降りて獲物を掴もうとするような、そんなポーズで描いた。
 だが、魚などの鳥以外の生物は描かず、波に揺れる陽光。その光と影。鳥が「泳ぐ」ことで生じる泡、水の流れ。そうした濃淡を丁寧に、細かく描きこむことで水の中にいる鳥の姿を浮かび上がらせようとした。
 完成したのは、卒業式の前日だった。
 地元から親が来ているから、と帰ろうとする彼女に絵を渡すと、彼女は初めて見るうっとりとした笑顔を浮かべ、「ありがとう」と言って立ち去った。
 卒業式では顔を合わせる機会がなかったから、彼女と言葉を交わしたのはそれが最後だった。
 あれから何年が経った頃だろうか、彼女から絵はがきが届いて、外国人の指揮者と結婚したことを知らされ、長女が生まれたこと、双子の兄弟が生まれたことなどを写真付きで知らせてくれた。その写真の背景はいつも彼女の自宅の真っ白な壁で、そこには僕の描いた「泳ぐ鳥」の絵が額に収められて飾られていた。
 僕もその後遅まきながら結婚することになり、彼女の横顔を描いたスケッチブックを処分しようとしたのだが、婚約者がそれを見て、「悔しいけど、とても綺麗な横顔。処分しちゃうのはもったいない」と言ったので、僕は驚いたものの、ありがたくそのスケッチブックを箱に収めて、新居の書斎にしまいこんだ。
 やがて僕の子どもが中学生になったとき、近所に学習塾ができて、子どもがそこに通いたいと言うので、通わせることにした。このとき、僕は妻と離婚して、長男の親権を得ていた。長女は妻と行きたがったので妻の元におり、兄妹は定期的に会わせている。
 入塾に当たって説明を聴きに行ったとき、僕はそこの塾長と顔を合わせて唖然とした。そこには降り注いだ年月に相応しいだけ年を経た彼女の顔があったのだ。
 彼女も離婚して、親権は夫側が強行に主張して、なかば強引にもぎ取ってしまったので、子どもたちはみな元夫の元に留まり、面会も約束通りさせてもらえない、辛い状況下にあるということだった。
 最初はお互い躊躇いつつ、メールや電話でのやりとりだけだったが、いつしか大学時代のように喫茶店で会い、彼女は文庫本を読み、僕は彼女の横顔を描く、というかつてのルーティーンに安堵しながら浸るようになった。
 お互い、プライベートなことには踏み込まなかった。だけど、それでよかった。かつての空気感を共有できる、それだけで、僕らは救われた気持ちになれた。
 ある日彼女は読んでいた文庫本を読みかけのままテーブルに伏せて置くと、僕の方に向き直って、「正面からわたしを描いて」と真剣な目で頼んだ。
 僕としては、否応もない。長い人生の中で、千枚を超える彼女の顔のスケッチの中で初めて、正面から彼女を見つめ、ペンを走らせた。
 彼女の目は赤く充血していて潤み、固く結んだ唇は口の端からほろほろと崩れてしまいそうにかすかに震えていた。頭にも白いものが交じっていて、降り注いだ年月が雪となって彼女の髪を染めたようだった。表情に深く刻まれたしわは、彼女の辿ってきた人生の轍そのものだ。
「明日からは、君の正面に座るよ」
 僕が目の前が潤み、曇ってくるのを顔を伏せて隠しながら、声が上擦らないように気をつけながら言葉を紡ぐと、彼女は顔を押さえてわっと泣き出した。その彼女を見つめ、ふと視線を外して窓の外を眺めると、窓辺にとまっていた小鳥が翼を広げ、空へと舞い上がると、あっという間に消えて見えなくなった。

〈了〉


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