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「今日もおつかれさま」とつぶやく話

「今日もおつかれさま」とTwitterで夕方あたりにときどきつぶやく。その日に撮った写真を添えて。

自分は大して疲れていない。いま、うつで仕事をしていないので。強いて言えば心は少し疲れてる。
でも私のTwitterのタイムラインには疲れている人が多い。あまりにも多い。あのフォロワーさんもあのフォロイー(フォローしてる人)さんも、それはそれは少なくない人たちが疲れてる。
こうもたくさんの人が疲れていると傍目には「仕事=疲れたり嫌な気持ちになること」なんじゃないかとすら思えてしまうくらいだ。
なんだか、仕事で得る対価、つまり生きるために必要なあの「物やサービスを買えるみんな大好きなチケット」って身体を疲れさせることや嫌な気持ちになることとの交換なんじゃないかなんて考えも浮かんでしまうくらいに。
極端かもしれないけど、生きるためには疲れることや嫌な気持ちにならなければいけないという考えは、なんだかとても人を残念な気持ちにさせる。

私もかつては疲れてきた。それはもう心身を壊すくらいには。慢性的な人員不足、閉店間際のラッシュ、納期のための残業、育てたエースの引き抜き的異動、上がっていく予算とあんまり上がらない給料、パワハラしている後輩が上司になる(私は先輩なので直接被害はないけど受け持った新人がたくさん‘‘お世話’’になった)、元ブラック企業時代のパワハラ上司が改心して上司として居座り続けるなどなど疲れる理由を挙げればキリがない。
忙しかったあの頃はあんまり空を、夕日を、光を、花を見ることができなかった。退勤後に外に出ればまっくらだった。

いまは疲れからのチャージ中。あんまり疲れないからこそ見えてる世界はゆっくりになってきた。自分のお店の商品やイベント、客層なんかで感じてきた季節の移り変わりもちゃんと五感で感じられるようになってきた。それはたぶんちょっといいことなんだと思う。うまく言えないけどたぶん、なんとか生きられてるなっていう感じ。

いま疲れてる人たちに、今日空を見られなかった人たちに、少しでも「今日」を見せられたら。もっとも、見せられる「今日」は私の目にうつる範囲だけど、せめて。「おつかれさまでした」じゃなくて「おつかれさまです」なのは、それを見てるときはまだおつかれ真っ最中の人もいるだろうから。

そんな思いを勝手に込めてつぶやきますので、とりあえず見かけたら気軽に受け取っていただければと思います。今日もおつかれさまです。

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