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日本政治のウラのウラ

ネット上では全く人気がない森喜朗氏のインタビュー本。というより、多くの国民にとっても「棚ぼたで総理大臣になったがトラブル続きですぐ辞職に追い込まれた政治家」程度の認識しかないだろう。

しかし私のような政治ウォッチャーには、森氏は自民党三役や3内閣での閣僚経験など政治家として申し分ないキャリアを経て首相になった本格派の政治家であり、著書を読むと広い人脈、深い慧眼に驚かされることもある。

プーチンの人柄についてのエピソード

プーチンは誠実な人間で、東京オリンピック開催が決まった後、官邸にお祝いのメッセージが届いたそうだよ。各国首脳で「日本が勝ってよかった」と堂々と電報を打ってきたのはプーチンぐらいでしょう。
2001年3月、イルクーツク会談の最後、プーチンが「じゃ、あとは次回にしよう」と言った時に、ぼくは「まことに申し訳ないことなのだが」と断って、「実はまだ誰にも言っていないのだけれども、これから日本に帰って遅くとも1ヶ月後ぐらいまでには私は総理大臣を辞めることになると思う」と打ち明けているのです。そうしたら、彼の顔色が変わってね。「ヨシ、なぜ辞めるんだ」と訊くので「ひとつは国内情勢で、もう一つは私の体のことだ」と答えたわけです。
 「会談であなたといろいろな約束をして、次はこうしようと決めておいて、私が突然辞めたら、あなたに失礼になるから、今日あなたに言っておくのです。日本人にも、まだ誰にも言っていないのだから、ここだけの話にしてください」
そうしたら、プーチンが「う〜ん」と唸って「ヨシ、ぼくはあなたとこの問題を解決したいんだ」と言うから、「私も同じです。後継者は必ず、私の意を受けた人になるから、その人とやってください。もちろん、私も後押しをするし、事前に相談もするから全く問題ない」と伝えたわけです。

国際外交は外務省が主導し時の政治家はそのペーパーを読んでいるだけだと思っていたが、このように人と人の信頼関係の付き合いができるのは森氏だからだろうか。

岸田外務大臣について

岸田氏が外務大臣の頃、森氏が外相の代打としてパーティ参加をもとめられた。そのことについて、森氏が岸田氏に問いただしたときのエピソード。

森「ところ、きみはどうしてアフリカデーのパーティに行かないんだ」
岸田「ええ、広島にちょっと帰るんです」
森「広島というのはきみ、選挙区だねえ」
岸田「選挙区の行事ではないんですが、大事な仲間が選挙で当選したのでお祝いに行くんです」
森「岸田くんな。いや、厳しいことをいうようだけど、それだったら外務大臣なんか辞めちまいなさい。だって、外務大臣になったら365日、国のために働かなきゃならん。それなのに、大事な行事を欠席して自分の選挙区に帰るとはどういうことか。大事な仲間のお祝いというのなら、『外務大臣になったら、こんな大事なことでも田舎には帰れないんだ』と県民に知らせる絶好のチャンスじゃないか」

森氏に叱責され、岸田氏は慌ててパーティに出るよう調整したそうだが、こんなところに岸田氏がポスト安倍で出遅れている原因を感じる。

北方領土の四島返還

森「1956年の宣言では、歯舞・色丹の2島をまず返還するということになったのですが、日本側が四島一括返還をもとめて話が流れてしまった。ぼくがプーチンと話し合ったイルクーツク会談では、2島を返還することをもう一度確認したのです。」
田原「橋本・エリツィン会談の時も、エリツィンは『2島を返還してもいい』と言ったのになぜ、いまだに返還されないのですか」
森「いや、これがね。いまだによくわからないのだけれども、外務省のなかに四島一括返還をお題目のように唱えている人たちがいるわけです
森「四島と一括りに言っても、それぞれ特徴があり、島民の感情も違う。択捉・国後は面積も広く、人口も多いが、歯舞・色丹は狭いので、あまり返還のメリットがないと言うわけです。択捉にはロシア人の住民が多いだけでなく、ロシアの軍事基地があり、飛行場もある。そう言う現実があるのに、2島返還でお茶を濁すのかと言う学者もいて、外務省内でもそういう意見に同調する官僚もいる。
しかし、歯舞・色丹は、確かに面積はたいしたことがないかもしれないけれども、漁業権の面では大変な影響がある。イルクーツク会談で両国の話がついていれば、日本の漁船がロシア側に拿捕されて漁民が殺される事件が起きることもなかったんですよ。政治というのは妥協であって、4対0か、0対4かどちらかということにはならない。
田原「四島一括返還を主張する外務省内の勢力はそんなに強いのですか。たかが外務省じゃないですか。」
森「う〜ん。あるんでしょうね。だから、時の総理大臣、外務大臣が「こうだ」と言って方針を示し、引っ張っていかなければダメなんですよ。

資源輸入をめぐる駆け引き

森氏がロシアとのパイプを活かし、ロシアから北海道まで天然ガスのパイプラインを引こうとしたら様々な勢力から圧力がかかり、外務省からの横槍がはいったという。

森「これもアメリカが絡んだ話なんですね。アメリカでは今、シェールガスが大量に埋蔵されていることがわかり、採掘が始まっています。アメリカはそれを日本に売り込みたい。」
ところが、ぼくが訪ロする際にも、エネルギー庁や経産省の官僚が盛んに人を介して「ロシアのガスや油に手をつけるな」といったことを言いに来たんですよ。
「これまでの日本の石油政策を見てごらん。輸入の9割を中東に依存して、産油国の言いなりになってきたじゃないか。アメリカのシェールガスもいいが、アメリカに依存してシェールガスの値段がガンと上がったらどうするんだ。そうしたら、お手上げだろう。だから、ロシアからもヨーロッパからも輸入する全方位が得なんだ」とね。

田中角栄と福田赳夫の思い出

田中角栄が会っていきなり現金を渡してきた一方、福田赳夫は全くカネ配りを行わない人物だったという。
(田中)「あーっ、森くん。おめでとう。やったなぁ。まぁ、しっかりがんばれや」と言ってね、「おい、これは少ないけど、とっとけや」と。
(森)「失礼ですけど、これは何ですか」
「きみ、見りゃ、わかるじゃないか。足りなかったら、また来いよ」
「いや、ちょっと待ってください。私はなんであなたからお金をもらうんですか。あなたには公認をもらえなかったんだし。別に、私は田中派に入ったわけじゃないんですから」
そうしたら、角さんが怒り出してね。「生意気なことを言うな」とぼくを怒鳴りつけたところで、二階堂進さんが入ってきてねぇ。
「いやいや、森さん。えらい失礼しました。これは公認料と貸付金ですから、どうぞお納めください。幹事長、記者会見ですから」と言って。
(同日、福田邸に伺った際)
ぼくはその席で、福田さんからコレをもらえると思ってね。
(福田)「正月が明けたら、また東京へ出て来いよ」
(森)「はい、すぐ来ます」
「待ってるよ」
「それじゃ、私は帰りますよ」
ぼくは当然、コレを持って来てくれるのだろうと思って、「私は帰りますよ」と念を押したわけ(笑)
それでも、持ってこないから「じゃあ、失礼します」と言って退席して。玄関に行ったら、奥さんが「コレ、わずかですけど」とか言って渡してくれるんじゃないかと淡い期待をしたんだけど、それもなかった。
「これからまた車ですか。ご苦労様ですね」
「はい、大変でございます」
「気をつけて帰ってください」
それでも諦めきれずに、デッカイ声で「先生、ありがとうございました。帰ります!」と言ったら福田先生が「おう、おう。コレを忘れとった」と言って来るかと思ったけど、やっぱり来なかったね。

当時、田中派は派閥として立派な集票・集金機能を有していたが福田派はサロンのような雰囲気で、集まっては田中派的な政治はいかんだのと管を巻いていたのだという。森氏は福田氏がカネの面倒ができない人物だったのは認めつつ、田中角栄のように党のカネを自分のカネのように配らず、クリーンな政治家だったことを評価している。

郵政解散

森「冷蔵庫を開けたら、缶ビールとチーズしかなかった。それで、いろんな種類のビールを飲みました。それから、小泉さんがぼくにご馳走してくれたチーズのひとつがミモレットという高級品でね。ミモレットというのは開封して空気に触れると硬くなるんですね。
それが事もあろうに冷蔵庫に入っていた。腹が減っていたので齧ってみたけど、固くてマズいから紙に包んでポケットに入れておいたんだ。それで、「わかった。もう、これで帰る」と言ったら「怒った顔で出て行ってくれ」と言うんだ。
「喧嘩をしてきたと言ってくれた方が、解散しやすいから」と。
永田町ではみんな「解散なんかできっこない」と思っていたから、その連中にわかるように「缶ビールと干からびたチーズしか出なかった。けしからんヤツだ」と言って
小泉さんに言われたように、一芝居打ったわけです。

郵政解散の前、小泉氏が干からびたチーズしか森氏に出さなかったというエピソードは有名だ。

こういう言外のコミュニケーションが巧みであり、いわば森氏は(政界関係者など森氏が知っている相手との駆け引きなどの)接近戦では極めて有能な人物なのだろうと思う。

共産党との付き合い

ぼくが大蔵委員会の委員長だったときには、共産党にできるだけサービスをしておいた。大蔵委員会は厳格でね、この法案は8時間で審議し、全体では10時間でやるとかいうふうに決めたら、ちゃんと党の持ち時間を按分するんです。そうすると共産党の質問時間が8分とかになる。担当理事がその数字を報告したときに、委員長のぼくがすかさず「それでは共産党さん。8分は少ないから10分にしましょう」と提案するんだ。
その分は自民党の質問時間を減らすんです。そうやって配慮すると、当時の不破哲三書記局長がかならずぼくに電話をかけてくるんだよ。松本善明国対委員長もそうです。国会でバッタリ会ったりすると「また、お世話になったようで、本当にありがとう」と言われた。とにかく礼儀正しい党でした。

優れた政治家のエピソードに野党・他党との付き合いは欠かせない。野党とこうして貸し借りの関係を築き、パイプを作る。
有名どころでは金丸副総裁と田辺社会党書記長のライン、小沢一郎と市川雄一公明党書記長のライン。あとは加藤紘一-菅直人ラインや菅-公明党ラインなど。

本書の教訓

森氏は政治的に華があるタイプではないが、若い頃からキツイ・汚い仕事を厭わず党の雑巾がけをしてのし上がってきた。著書からは人との付き合い方やスジの通し方に一貫性があり、好感が持てる。それがポスト小渕でお鉢が回ってきた所以だろう。
国民受けを気にしなくとも、スジを通して半径数mの相手ときっちり仕事をしていれば、いつかは重要なポストに就くことができる

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