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セゾン 堤清二が見た未来

セゾングループは西武の流通部門を切り離して堤家の長男 堤清二氏が継承した企業グループである。

弟、堤義明氏が西武の本丸である鉄道・不動産業を継承したため堤清二のセゾンは外様のような扱いだったが、西友や無印、パルコなど消費者に馴染みのあるブランドを展開していたのでむしろセゾンのほうが西武系企業としては知名度が高いかもしれない。

父 堤康次郎氏への反発から、清二氏は左翼運動や作家としての活動にも傾倒する。活動は晩年まで続き、企業経営者というより文化人のような振る舞いが本書でもよく現れている。

本書をどう読むかは人によって意見が大きく分かれるだろう。無印良品のように時代を先取りしたカルチャーを日本に広めた革新的な経営者と捉える人もいるだろう。

結論から言えば私には、堤清二氏は文化人気質が抜けず半端な経済観によって経営したために最終的にグループ解体に追い込まれた人物に映る。
打ち手がどことなく資本主義に対するアンチテーゼであり、消費者を啓蒙している感が拭えない。

無印良品の発売に際して

まず無印良品=堤清二の代表作のような評価があるが、それは間違いのようだ。というのは、無印良品の企画が堤清二氏に持ち込まれたとき、以下のように酷評している。

西友のPB商品として生み出された「無印良品」に対する堤の評価はすこぶる低かった。
貧富の差が大きい海外とは状況が違う。そんな安物は日本では絶対に売れない。何を考えているんだ。おまえたちはバカなのか
悩んでいるうちに、他社の先行を許してしまった。

無印良品はセブンイレブンのセブンプレミアムのような西友PBとして立ち上がった。そのときのコンセプトは訳あり商品(割れた椎茸や鮭のフレークなど)を安く売るというものだった。
ところで去年無印良品で調理器具一式を買ったが、まぁ高い高い。もともと安いイメージはあまりなかったが、ニトリと比べて2倍高いような感覚すらる。現在の無印良品は良い企業として完成されていると思うが、完成された無印は「ミニマルで良質なものを無印ブランドで高く売る」というものだろう。

立ち上げ時の無印と現在のものはまるで違っているので、堤清二やその思想が無印を作ったというのは全くの誤りだろう。(そもそも堤清二は無印良品がブランド化して値上がりすることを嫌悪していた)

無印良品 ブランディング会議の様子

無印良品の企画会議の様子も、まるでサロンのようだ。

「議論と言っても、いわゆる会議のようなものではありませんでした。例えば、日本のものを美しいと思う感覚はどういうことかといった文化論、生活論のようなことを、時にお酒を飲みながら、堤さん、田中さん(アートディレクター)と一緒に話していました。そうした中で、関係者みんなが考えることが一致したといいますか。それが、その時代の感覚だったのだと思います」

無印良品のコンセプトについて堤清二が語ったこと

「もういっぺん、無印良品とは何かをはっきりさせる必要がある。それは、①合理化なのか、②新生活運動なのか、③消費者の自由を確保することなのか、④ファッション・デザイン性なのか」
「やはり、③消費者の自由の確保が中心であり、①②④は要素ではないか。無印良品は反体制商品だ。自由の確保を忘れて消費者に商品を押し付けるようになったら、その段階で無印良品は『印』、すなわち『ブランド』になってしまう」
経営者の言葉としてはあまりに観念的で、学生運動のアジテーションのようだ。

ファミリーマートとセブンの差

ファミリーマートはかつて西友傘下だった。現在は伊藤忠が子会社にしているが、ファミリーマートの企業カルチャーはセゾングループに由来する部分が多いという。

伊藤忠商事は、ファミリーマートに社長や経営幹部を送り込んで、競争力の強化に努めるが、王者セブンイレブンにはなかなか追いつけないままだった。
経営陣が苦しんだ要因の一つは、セゾングループがもたらした家族的なチェーン運営の風土にあった。
伊藤忠商事出身で、2002年以降、長くファミリーマートの経営トップを務めた上田準二は、ファミリーマートの弱さは徹底力がないことだと指摘していた。
例えば、弁当やおにぎりなどの品切れの問題。
セブンイレブンでもファミリーマートでも、チェーン本部はFC加盟店に対して「商品が品切れしないよう積極的に発注してください」と指導する。それでもファミリーマートの場合本部の指導が徹底されず、売り残りによる廃棄ロスを恐れて、FC加盟店が発注を控えることが頻発していた。結果、棚には空きが目立つ。
どの時間帯に訪れても、棚に商品がしっかりと並んでいるセブンイレブンと比べると、どうしても見劣りしてしまう。

資本主義化のプロセスについて

本書を読むなら一緒に日本マクドナルド創業者の藤田田氏、セブンイレブンの鈴木敏文氏の著書も併せて読むことを推奨したい。

藤田田氏の考えをざっくり言えば、戦後日本は資本主義化のプロセスをたどっており、それは欧米化と合理化・簡素化と言い表せる。ファストフード化・コンビニの進出はその象徴だろう。これを資本主義の正のベクトルとみなすと、"丁寧な暮らし"とか"職人による一点物"みたいなのはそれを補完する存在(ニッチセグメント)か、一時的な反動(長期的には廃れる)とみなせる。

堤清二氏は都市で一般大衆を相手にしながら、どうもニッチセグメントや反動にかける比重が重すぎるように見える。均質化や簡略化よりも複雑で個性があるものを個人的に好むから、一般大衆にもこれを受け入れてほしいという視点が強いのだろう。

顧客を啓蒙してはいけない

藤田田氏は、所詮はハンバーガーを売って金儲けをしているだけなのだから、消費者を啓蒙しようなどとおこがましいことは考えないと語っている。ある種の潔さがある。

鈴木敏文氏の書籍でも、鈴木氏が商品企画の場で味を見て微妙だったから販売をストップしたというエピソードが語られている。真面目に生産してるから高いだとか保存が利かないとか、そういう言い訳を一切許さない。こういうシビアな消費者目線がセブンイレブンやマクドナルドを支えている。

本書の教訓

以上、本書は私には反面教師に映ったので何から何まで堤清二氏の経営には同意しかねた。
一言でまとめると、一流の経営者を目指すには骨の髄から経営者に染まるべきで、作家業を片手間にやっているようでは務まらないということだろう。


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