共感するのに努力を要する

昨日の記事が私にしては反響が多かったので、おそらく共感されないだろうなと思いながら、人付き合いについて感じていることを書いてみます。

私は結婚していてパートナーとともに子どもを育てています。
それとともに犬、猫、鳥、亀、蛙、魚、虫なども飼育してきました。

そして折に触れて感じるのが人間の傲慢さです。
私の目には、人間もまた動物の一つで、食欲とか性欲とか睡眠欲とか支配欲とか恐怖とか寂しさとか嫉妬心とかの本能に動かされている存在に見えるのですが、自分自身を過度に理性的だと思っている人が多いように感じます。

もちろん人間には理性があり、動物としての生存欲求を超えての自己犠牲の物語が人間讃歌として消費されていることは否定しません。
しかし、動物の母親だって我が子を守って死ぬこともあり、それもまた本能と言うこともできます。

書いていて、我ながらアスペルガーっぽいと思いはじめました。

いえ、私だってわかっているんです。
「しょせん人間も動物」と言ってしまえば「投げやりで放埒な生活」を奨励することにもなりかねないので、「人間は素晴らしい存在」と教育することで社会が進歩して人類の幸福につながるくらいのことは。

それでもときどき疲れてしまうんです。
なんで人間ってこんなにいつも「ぼくってすごいでしょ」「私はすばらしいの」ばかりアピールしているのかなって。

それが悪いというわけではないんです。
私だって何かを達成してうれしいときは、その気持ちが抑えられずに自慢話くらいしちゃいます。
そしてたいていは相手の反応で「興味なかった」と気づいて我に返ります。いちばんうれしいのは自分なんですし、それでいいじゃないですか。
うれしくて我を忘れちゃったのねって笑い話です。

でも、世の中にはいるんです。
個人的な達成が普遍的な偉業であったかのように勘違いして、共感しないと不機嫌になる人が。
傲慢ですなあ。
家で育児して、外でも育児するの疲れる。
そんなことを思う私も傲慢すぎる。

我ながら「共感力が低い」と思いますが、そんなことを言いながら、私はこの話に誰か共感してくれないかなんてひそかに思っていたりするのです。

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ええと
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