トランスジェンダー同士の意見が割れてしまう理由
某所で性同一性障害特例法についての話題を見て考えました。
性同一性障害特例法とは、生まれたときに戸籍に記載された性別を変更するための要件について定めたものです。
生まれたときの身体は男性だったけど女性として生きたいとか、女性だったけど男性として生きたいとか、そういう人たちのためのものです。
良い法律ですね。
この法律、社会的な混乱を考慮して、実際の変更適用にはさまざまな要件をクリアすることが必要でした。
すなわち「18歳以上」、「現在、婚姻していない」、「未成年の子がいない」、「生殖ができない」、「外性器のかたちが変更先の性と同じ」。
最後の2つは、手術によって生殖機能の除去と性器の形状の変更を求めたものですが、これを良く思わない人が、憲法によって守られるべき人権の侵害ではないかと訴訟を提起していました。
その結果、今年になって最高裁で「生殖機能の除去」は違憲であり無効との判決が出ました。「外性器の変更」についても高裁に差し戻しです。
一見、憲法の定める基本的人権が守られて良いことではないかと感じられますが、この結果について賛否両論を目にしました。
私も勉強中なので細かな間違いはあるかもしれませんが、自分への整理を兼ねて書いてみます。
訴訟を提起したのは手術をせずに性別変更したい人ですから、この結果に対しては賛成を表明しています。
一方、反対をしている人もいます。
主に、生まれつきの女性です。その中には、すでに手術をして女性に性別を変更したトランス女性も含まれます。
最高裁の判決は手術をすることそのものに反対しているわけではなく、したい人はしてもいいよということなので、わざわざ反対意見を表明しなくてもよいのではと思えるのですが、反対するにはそれなりの理由があります。
生殖能力を持って外性器もそのままで性別変更ができてしまうと、極端に言えばペニスを持った人が女性浴場に入れることになり、女性の心理的安全性が担保されないということらしいのです。
そこでレイプが起きるかどうかまではわかりませんが、恐怖を感じる人がいるであろうことはわかります。
ざっくりと言えば、外見による差別にも見えます。
トランスジェンダーにとってはなかなかつらい話です。
せっかくトランスしたのに、仲間にいれてもらえないわけですから。
仲間に入りたいなら手術してこいというわけです。
法律ができる前は手術しても仲間に入れなかったので、制限がゆるくなるのはみんな歓迎なのかと思ったら、無制限では困る人がいるみたいです。
なんでこんなことになっているのだろうとさらに調べたら、トランスジェンダーの中でも、性同一性障害(GID)とそれ以外のトランスジェンダーを区別する言説が出てきました。
性同一性障害の人とは、医学的に性別の変更が妥当であると認められていて、外性器の変更手術をすすんでやりたい人たちです。
それ以外のトランスジェンダーというのは、生まれつきの身体的な性別に違和感があるけど手術まではしたくないとか、手術するほどの経済的余裕がないとか、異性装で暮らすだけで居心地がよいとか、性別にとらわれずに生きるのが自分らしさであるとか、まあいろいろです。
外から見ると「ぜんぶ同じトランスジェンダー」に見えるのかもしれないですが、よく考えてみるとけっこう違う。
違うどころか思想的には真逆のところもあります。
性同一性障害の方は、たとえば身体的には男性なんだけど完全に女性として生きたい、あるいは身体的には女性なんだけど常に男性として生きたい人たちです。
つまり、男女のボーダーを他の人よりも強く意識していて、それを超えて「向こう側」に行きたい人たちです。
だから、性同一性障害のトランスジェンダーは、外見や態度において、とても男らしさや女らしさを意識しているように見えます。
その言動や態度からは、変更後の性別に見られること、つまりパス度が高いのを誇りに思っていることがわかります。
そんなことは当たり前と思われるかもしれませんが、実は一部のトランスジェンダーの中には、そうでもない人たちがいます。
それが、ノンバイナリーとかXジェンダーを自認する人たちです。
ノンバイナリーとかXジェンダーとは、男でも女でもないという意味ですから、過剰な男らしさや女らしさからは積極的に離れようとします。
もちろん生まれつきの性別に対する違和はあるのですが、反対側の性別に対する違和もあって、どちらでもない中間地帯にいることを望みます。
ボーダーラインではなくグレーゾーンを作って、そこを自分たちの居場所と認じているかのようです。
そしてあるときは男のようにふるまったり、あるときは女のようにふるまったり、自由自在に越境(トランス)することに居心地の良さを感じている人もいます。
このようにジェンダーによる分別そのものに違和感を覚えるノンバイナリーの考え方は、明確にボーダーラインを意識して、反対側のジェンダーとして暮らすことを望む性同一性障害の方と、思想的には正反対になります。
だから同じトランスジェンダーでも意見が別れるのでしょう。
シスからトランスに対する偏見に「異性の格好をしても似合ってない=センスがない」というのがあって、性同一性障害で性別変更した方は、似合うように溶け込むようにしていくのですが、ノンバイナリーの方の中には「似合ってない=新しいファッション」と考えて独特のセンスを発揮する才能のある方もいるので、なかなか気が合わないのです。
私はあまり争いは好きではないので、困ったなあと思っています。
性同一性障害の方は、身体的にはトランスなのですが、精神的にはどちらかのジェンダーに属しているので、心情的には非トランスなのかもしれません。
LGBTはジェンダーを撹乱しているように見えるので、同じ仲間に見られると、きちんと手術してトランスしたジェンダーに溶け込んで暮らしている自分たちの脅威になると感じているのかもしれません。
非LGBTにも同じような感覚を抱いている人はいるでしょう。
気持ちはわからなくもないです。
非LGBTの中に、LGBT嫌いとLGBTアライがいるように、同じような状況におかれていても意見が同じになるわけではないのです。
最高裁の判決を受けて、日本政府は性同一性障害特例法の改正に着手しようとしています。
まだどうなるかはわかりませんが、いろいろな立場の人があまり傷つかないような地点に着地してほしいと思っています。
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