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noteを読みながら、自分はどんなときにスキをつけたくなるかを考えた

noteを始めて2週間たった。
なぜ始めたかといえば「書きたいこと」があったから。
それは、だいそれた話じゃない。

日常生活をおくっていると、誰かに話したいことがときどき出てくる。
それらはたいてい同居人に話したり、友人や同僚に話したり、SNSに書いたりで発散されるのだけど、相手が限定されている場合「この人に話してもあまり興味をもってもらえないだろうな」問題が発生する。
大人なので、相手が興味をもたない話を延々と続けることはできない。
夫婦だったら余計に、異性の推しについては語りきれない。

SNSなら相手は不特定多数かもしれないが、情報アカウントとしてある程度フォロワーができてしまうと、いつもと違うジャンルは書きにくい。
女性アイドルはプライベートの恋愛の悩みを書けないし、子供の教育について語っている親アカは、秀逸な下ネタを思いついても披露できない。

長い話をしたいんだけど、聞いてくれる相手が手近なところにいないとき、適当な場に思えたのがnoteだ。
なので、一人でも二人でも共感してくれる人がいればいいな、で始めた。
初日からスキが一つついたのでと喜んでいたが、意外と「一桁しかスキがつきません」と悩んでいる人が多かった。
意識が高い。

自分は「誰も聞いてくれなさそうな話」をするためにnoteを始めたので、一つでもスキがつけば「仲間がいた」と大喜びしていた。
一つもスキがつかないときもあるんやで。
もっとも「既読」の意味でスキをつける人とか、マーケティングの意味で片っ端からスキを押して回る人もいるようなので油断はできない。
実は誰にも読まれていないかもしれない。

最初は書くほうから始めたが、すぐに他人のnoteも見るようになった。
けっこうスキを押している。
どんなときにスキを押してしまうのか振り返ってみた。
基本は「面白かった」ときなのだが、「面白い」にもいろいろある。
「笑えた」とか「役に立った」とか「知らなかった」とか。

どこからが「面白い」でスキを押すかのボーダーラインは難しい。
文句なく「面白い」ときにはスキを押すが、「面白いけど読みにくい」とか「前半は面白いけど後半は退屈」とか「面白いけどなんかこの人は好かない」とかはどうしたらいいだろう。
その時の気分で押したり押さなかったりしている。
自分の善性の限界にも気づける。

スキを押すのも結構な手間なので、一つ押してから続けて同じ人の他の記事を読んだときは、面白くても押さないことがある。
ずっと同じテーマについて語っている人が多いからだ。
最初はインパクトがあっても、次からは「また同じ話」と感じてしまう。
「もう一回押したからええやろ」と手を抜いてしまうことも多い。
あと「たくさん押すとストーカーみたいで怖い?」と思ってしまう。
自意識過剰である。

スキをもらうとうれしいから、サービスのつもりで「読んだらぜんぶ押したれ」と実践したこともあったが、続かなかった。
途中で読むのをやめて、スキまでたどりつかなかったりするからだ。
最後まで読んでも、その日の気分によっては押さないこともある。
その程度のものだから、自分も一喜一憂する必要はないとわかった。

そのうち、それほど面白くないのに、スキを押してしまう記事があることに気がついた。
記事は面白くなくても、書いている人をスキと感じたときだ。
あるいは、この人を応援したいと感じたときだ。
それも「面白い」の要素の一つなのだろう。
お笑いでいえば、スベリ芸のようなものかもしれない。

芸でスキを集めるのも、好感度でスキを集めるのも、どちらもすごい。
スキがたくさんついている記事を見ると、感心する。
とは言え、経験上、スキ集めを目的にすると、やりたくないことをやる羽目になる。
それは本末転倒だ。
一桁しかスキがつかない記事一覧を眺めながら、今日もまた唯一無二すぎて人がついてこられない記事を書いてしまったと自己満足するのが精神衛生には良さそうだ。

あと、とりあえず自分の記事にもスキは押す。
みんな自分で面白いと思っているから書いているんでしょ?

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